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“単細胞人間”と呼ばれ続けてきた者が「単細胞的思考」に巡り会う幸せを頂きました。
一言で言うと……。私の言葉の力では表現できません。ただただ圧倒されました。
これだけの量のある本で、これだけ無駄のない筋肉質の本ははじめてです。
一語一語が、著者の上野先生が体験し、感じられたものから構成されるほとばしる非常にエネルギーを持った液の、上澄み中の上澄みの極上のしずくです。
自分に迷い、悩みがあるときにこの本を開けると、そこに回答が記されていることが不思議なくらい数多くありました。何か見えない力、それを神の力と表現するのが適切かどうかわかりませんが、その力が作用してこの本と出会えたとしか思えません。
私にとって、この本は、親友であり、ライバルであり、かけがえのない恩師です。
上野先生 本当に有難うございます。 (埼玉県 O 男性)
おもしろい! 厚いし文字が小さいし65万3000字に途中で止めかな? と思いながら読み始めたら、おもしろい、すごい、そうだ! と、読んでしまいます。
上野先生 過激で、なんて楽しいのでしょうか! どきどきでいっぱいです。
ただ無知な私は読めない字やわからない言葉、知らない事がいっぱいです。辞書片手にもう一度読みますね。 (刈谷市 M.S 女性)
お話し( お話しとは、明窓出版ホームページ上の【“雑記帳”3月28日分、タイトル「出会いの素晴らしさ」】
をご覧になった……ということだと思います。編集者注 )を読んでいて、そのような本物の輪が拡大していく様子が、何故か分かるような気がします。
私も学生時代に、あの分厚い本が気になって、気になって……、怖いもの見たさ?で、読み始めた思い出があります。(※と言うのは、「この著者(書)には中途半端には近づかないで欲しい」旨の警告があったものですから……、ちょっと読むのに勇気がいりました)。
案の定、ものの10分で私は読み進めることに挫折してしまったのです。あまりにも難解で、激しく、そしてその書のパワーに屈してしまったからです。
でも、私はこの著者の本を何冊も大事に大事に保存し、折に触れては好きなページから数ページづつ、こつこつと読み続けていました。相変わらずチンプンカンプンでした。
ところが、ある時を境に、この「現代の宗教書」とも言えるべき(数々の著書の)内容が、おこがましいのですが、スウーッと理解できるようになってしまったのです。(※「お前なんかに分かられてたまるか」、と著者に怒られそうですが……)
それは、難病に冒され歩けなくなったときからです。人生のどん底に突き落とされ、打ちのめされたとき、どれほど今まで自分は恵まれていた人生を送っていたのだろうか……と。
今一度、人生、生きなおそうと思った時、この著者が何を言いたいのか、この世で一番大事なものは何かが理解できてきたのです。(※あまりにも大きな代償でしたが、その代わり、永久の大事な宝を見つけたような気さえしています)
著者は、現代文明批判を通じて、あえて現代の「砥石」(といし)役を引き受けているのです。あえて厳しいこと(嫌われることを)言いながらも、現代人の心や魂に磨きをかけ、汚れを落とす役目をしているのです。皆を、ダイヤモンドのようにカットし磨き、光を放たせようと叱咤激励しているのです。
本当の著者は、太陽のように大きく、かつ、羽毛布団?のような、だれにでも寛容で暖かい人なのです。
そんな、著者に心から尊敬の念を抱くとともに、益々元気で生き抜いていただきたいと思っています。
おかげさまで私も、足が不自由ながらも、バリバリ?(ちょっとだけかもしれないが?)、仕事に、子育てに、ボランティア活動(おこがましいかな〜)などに、頑張っています。(※一日一日が私の人生です……。数年先など、私には見えません。でも、毎日が充実しています。人生はその長短で幸せの尺度が決まるものでは決してないようです……)
著者に感謝です!(※本物と偽者の違いが明確化していく世の中になってきているようです……
本当にありがとうございました。 (盛岡市 K k男)
あなたは、自分に立ち返る「場所」がありますか? わたしは、愚かにもすぐに見失ってしまいます。
しかし、そんなわたしでも幸運な事があります。 30年近く前に、上野宵里氏を発見できたことでした。
書物がありますから、思いたったときに立ち返ることができます。 読むたびごとに、その印象はさまざまに変貌するような気がします。 ただ、それはすべて自分自身の在りようで違って感じられるのだと
思います。
あるときは、烈火のごとき罵倒と抗しがたい破壊力を感じます。 また次の瞬間に、無条件の愛情や無辺の慈しみを受ける思いがします。 しかし、この書物で語られてるすべての言葉は、まず著者自身に
向けられているもので、ご自身の壮絶で壮大なドキュメントなのです。 だから、万人に口あたりの良い弁舌さわやかな本などではありません。
いま、絶版になって久しかった著者の代表的書物「単細胞的思考」が 30年ぶりに復刻されました。
わたしには、父の背中であり、父の鉄拳であり、父の激励であり、 父の横顔と思える書物です。また母の匂い、母の手、母の温もり、 母の愛情に包まれる思いのする書物です。
そして、出会うことができない人にはお気の毒ですが、個人的には それはそれで好都合だとさえ思える一冊なのです。 (東京都 N)
この本は、今までの私の人生を全て否定し、最悪の自己嫌悪と、死にたくなる程の絶望感を与える言葉の詰まった本でした。この本を読むほどに、いかに自分が人間として生きていない、最低最悪の人種かを思い知らされます。
今、ここに生きているGというのは一体何なのだろう? 29年間生きてきた自分というのは何? 全て嘘なのか? と自分の存在自体を疑い、狂いそうになります。
著者の言う「人間は自分の内から湧き起こる感情、感動、衝動によって行動し、発言し、主張するべきだと、これこそが創造的生き方であり、創造的生き方こそが、人間が人間たる所以ではないのか」ということ、全くその通りだと、感銘を受けました。しかし、改めて自分を見直してみると、自分は全く正反対の人間だということに気づかされ、愕然となります。私は自然に「皆こう思うのではないか」という客観的なものの見方をしている人間で、作者の言う「自己としての主張が無い、存在価値の全く無い人間だ」ということです。そう、私という人間は自分の内から発せられる言葉がほとんど無い、全て頭の中で計算し、考えて発言、行動している事実に気づかされたのです。これは大変なショックでした。「創造的な生き方」を実践するためには、今まで自分のやってきた行動、発言の全てを否定し、29年間のGを殺してしまう必要があります。そして著者の提唱するその生き方こそが、確かに私の望んでいた生き方でもあるのです。私はGを殺さなければなりません。そして新たにG(自分)の内から湧き出る感情と感動、そして衝動を表現する人間として生まれ変わらなければならないのです。
著者はこうも言います。「文明社会の中で、肩書き、地位、収入などに固執し、自分を無くして生きている人間を嘲笑する」と。私自身、「いずれは立派な仕事をして名前を売り、愛する女と一緒になって、それなりに豊かな生活が送れれば」などと甘っちょろい考えを最近持つようになっていました。この自分も殺さなければなりません。そして自分の内から湧き出てくるものをそのままに撮る写真家にならなければ、私が写真を撮る意味はないのです。
この本は、人間が人間として生きる、自分が自分自身として生きるための要素でできています。著者は、自分自身をごまかし、自分自身の中から逃げ、自分自身の主張を無くし、自分がどんな奴なのかさえロクに解らない、最低最悪な大馬鹿野郎に対してその事実をハッキリと突き付けてきます。自分自身で作り上げた理性、モラルに縛られ、自分自身が行動を起こせないことを他のせいにし、社会の枠組みにとらわれ、自分自身の主観、主義、主張を無くし、頭の中で作り上げた客観でしか何事にも対せない臆病者の卑怯者! 自己としての主張もなく、人の目ばかり気にしてオドオドし、自分から何の行動も発言もできない、非創造的な人間G、こいつは吊るし上げ、叩きつぶし、ブチ殺すしかない! そしてその死骸から新しく始めよう。
著者はその混沌とし、強烈な輝きを放つ言葉で私のような人間を深い絶望へ突き落とす。しかし、同時にその言葉は人間として、己として人生を生きたいと願うものにとっては希望と救いと再生の声であり、自分自身を取り戻すための蜘蛛の糸であるように思えるのです。 (東京都 G)
現代人は文明社会に圧倒されている! 上野は言う、「此の文明の世は空恐ろしいところですよ!」免疫を持っていればこそ逞しくやっていけるのだが、ほとんどにはこれが無いことを著者上野は見抜いている。
「ノーベル賞、芥川賞、直木賞ーくそくらえだ! もしそのようなものの対象となるようなら、私の書くものは、今後の雄大でドラマチックな時代において、ほとんど望みがなくなる。」24才の私は超人の存在を密かに信じ期待していた。
ページをめくってピン!ときた! ながらく探していたものが此処に溢れこぼれだしているではないか! 文明のこの世は自然のレベルにない。広大な陥没地帯なのだ! 此処で何かに成れたからそれで何なのであろう。此の負の領域から自分を超脱させない限り人生の敗北者のままである!!
上野の一言一言は不実の文明を完膚なきまでにたたきのめす。文明の手枷足枷の状況下、それでも上野や読者、出版人はこれを超えて人類の新世紀を促すこの聖書を世にもたらした! 人間史上、初めて歯に衣着せず本当のことを書き、書くように生きている上野である。言行一致の書だ! 「もともと、真実といったものは、文明にとって御法度のものなのだ。全ては非現実であり、反真実であって、それらを如何にして合法化し、美化し、正当化、論理化するかという技術が文明の見せどころであるらしい」。
ある読者は自分の言葉を書き込みアンダーラインを引き全ページは火事場の焼け跡のごとき状態となった!! インチキ洋服屋に他ならぬこの世にまんまとだまされて、それでいて嬉々とし、ノホホンとしているのは文明礼賛!! の大衆である。こういう事実現実は民衆大衆には見難い事なのである。「一度や二度は乞食をすることもあるかも知れない。それでもいいか?」「いいです! ついていきます。」今日のどこにこのプロポーズがあろう?! この著者と著書を見ずに「わたしは生きています」などと言えない時代がもうそこまで来ている! これは人類が初めて手にする奇書であり、抗文明の逞しい抗体を自分の内に導く確かな覚醒の書なのである。
(盛岡市 N)