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親がいるために子が育たない!そんな時代が来ているような気がします。

 この記録は、種々の報道に右往左往する教育ママ達に、大きな示 唆を与えることでしょう。
現役の精神医学者が、幼児教育の大切さを貴方に訴えます。
 近頃、子供の問題行為がしばしば話題になり、そのたびに、子供の教育に関する論議がなされる。
 その論議を注意深く聞いていると政治、教育行政に携わる者も、それを報道するマスコミ関係者も、第三者的立場からそれを論議している。  それらの人々には、このような情況を作り上げたのが、彼等自身であることの自覚がない。

前書き 目次 70%

あとがき 著者profile  感想BBS
Copyright (C) 2007 明窓出版, All rights reserved













 
         ●●●●●著者名●●●●●著





 ●●●●●タイトル●●●●●


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                                   明窓出版



















   推薦の言葉
●●●●●推薦の言葉の中身●●●●●

































  まえがき

 近頃、子供の問題行為がしばしば話題になり、そのたびに、子供の教育に関する議論がなされる。その議論を注意深く聞いていると、政治、教育行政に携わる者も、それを報道するマスコミ関係者も、第三者的立場からそれを論議している。
 それらの人々には、このような状況を作り上げたのが、彼等自身であることの自覚がない。
 子供は純粋無垢の状態で生まれてくる。それをどう色付けるかは、社会、すなわち、大人達がすることである。色付けした結果が、自分達の気に入らないからといって、そのような状況を作り出した原因を、学校の先生や学校教育に求めるのは見当違いと言わねばならない。
 そもそも、学習は真似ることから始まる。政治家が悪を振る舞って見せ、新聞やテレビが、「銭にさえなれば、平均的市民は目を背けたいようなことでも平気で書いたり、放映したり」すれば、純粋無垢の子供達がそれを真似るのは当然である。     後略

























       目 次




はじめに
第一部 教育について思うこと
 第一章 子供の教育
第一節 教育相談 ――勤めを持つ母親の教育に関する認識
第二節 親はなくても子は育つ?
第三節 子を思う親の心
第四節 子供はどう育てれば良いか――人は部品の集合ではない
第二章 家庭教育と家庭環境
第一節 同一化――乳幼児の学習
第二節 性格の形成――性格テストに見る親子関係
第三節 性格が形成される過程
第四節 ノイローゼ患者に見られる親子関係
    (症例 1) (症例 2)
第三章 精神の成熟――自然現象とエントロピー――
第二部 母を語るある科学者の回想
 第一章 プロローグ
第二章 忘れ得ぬ友――船越君――
第一節 科学者としての船越君との交友
第二節 繁雅君の結婚式
第三節 友との離別
第三部 船越君の手記
第一章 幼少時代の思い出
第一節 手違いの差し押さえ
 1 貧しい生活  2 母の内職
第二節 母の誠実
 1 子供の納得と研究心  2 病人のお世話と近所付き合い
第三節 貧しさの中の気位――心の錦――
 1 雨合羽  2 学用品  3 継ぎだらけのズボン  4 おやつ  5 手作りの肌着
第四節 小さなアルバイト
1 パンの立ち売り  2 魚屋の手伝い
第二章 中学校への進学
第一節 補習授業と参考書
第二節 進学をめぐる母の心配
   1 遊びとスポーツ  2 弱い者いじめ  3 母の恐怖  4 姉とハーモニカ
第三章 私の中学校時代
第一節 学業成績とスポーツ
第二節 勉学に対する母の態度
第三節 進学をめぐる母の態度――家庭訪問――
第四節 弟の進学
第五節 母の教育のもとで
第四章 医学への道
第一節 受験
第二節 就職
第三節 叔父の家
第四節 それが学ぶこと、これが学ぶこと
第五節 叔父の家に身を寄せる
第六節 医学への道を歩み始める
第七節 学生生活
第八節 森さんとの出会い
第九節 寮生活
第十節 奨学金
第五章 空襲
第一節 加藤家の人達
第二節 焼夷弾の雨
第三節 日本刀
第四節 焔に追い詰められて
第五節 伝馬舟に焼夷弾
第六節 死と向かい合う
第七節 別れの挨拶
第八節 家族の再会
第九節 森さんの好意
第六章 森家の人びと
第一節 森のおじさん
第二節 終戦前後の食糧事情
第三節 森家の家風
第四節 語学を勉強せよ――原書を読むように心掛けよ――
第五節 哲学書を読め
第六節 結果を直ぐ期待する勉強をしてはならない
第七章 国立徳島医学専門学校の廃校
第一節 廃校
第二節 転校
第八章 九州大学への転校――深い感銘を受けた恩師、他――
第一節 九州帝国大学
第二節 芝生の上で
第三節 解剖学教室用務員の野見山さん
第九章 医学生時代のアルバイト
第一節 冬のアルバイト
第二節 夏のアルババイト
1 終戦直後の食糧事情――有名人の栄養失調死―― 2 母親の愛情  3 馬鹿げたトロッコ押し
第三節 炭鉱で働く
第十章 深い感銘を受けた恩師
第一節 恩師棚橋陽吉先生のこと
第二節 恩師奥村重雄先生(有機化学)
 第十一章 兄弟は助け合い相互に学ぶ
第一節 弟の進路と研究生活
   1 弟の卒業  2 弟の服装  3 白鳥は悲しからずや  4 弟の研究生活
第二節 真佐夫兄の研究生活
 1 学生時代  2 兄と数学  3 不思議な能力  4 学園紛争
 5 兄の写真アルバム  6 兄の趣味
第三節 徳男兄が歩んだ道
第四節 益枝姉のこと
第五節 兄弟は仲良く助け合う
第六節 歩いて来た道を振り返る
第七節 義兄弟のこと
   1 義兄のこと  2 義姉のこと  3 義妹のこと
 第十二章 父母の生活史 
第一節 父のこと
 1 父の家  2 官幣大社宗像神宮と宗像水神  3 家業  4 父の性向
5 コーヒーと紅茶
第二節 母のこと
 1 母の生い立ち  2 成人後の生活3   母の父方、母方の家風  4 母の親類  5 父との出会い  6 清水先生の往診  a 清水先生と骨董  b 清水先生の自転車  c 譫妄  d 養子に望まれる  7 母の病気と死  a 母の散歩  b 大工の棟梁  c 母の死  d 母の一生
 第十三章 母に学んだ心
第一節 この章のはじめに――幼児教育と環境――
第二節 学ぶ心――知の教育
第三節 人を思い遣る心――情の育成
第四節 医の心――知と愛
第五節 慈しむ心
 1 亡き人を弔う  2 「物乞い」をする人に  3 知人の失職
第六節 質素――分相応な生活と金銭感覚――
第七節 教育の真髄――慈しみの教えから――
 第十四章 子供達の躾の実録
第一節 精神医学的にみた躾
第二節 私の子育て体験
例1 子供の睡眠
例2 母を待つ
例3 夜食と虫歯
例4 駄々をこねる大きな子供を見て
例5 メソメソ泣く逞しい美智
例6 排便の躾
例7 孫の躾
第三節 褒め方、叱り方
例1 余り成績の良くない子供
例2 勉強が良く出来る子
例3 腕っ節の強い乱暴な子
例4 子供の盗み
例5 家庭内の教育方針の統一
第四節 精神医学的にみた精神の成熟
第五節 精神的に成熟した人の特徴
 第十五章 人格の形成と世相
第一節 マスコミ関係者の共用
第二節 核家族と故郷の家――浅薄なマスコミ用語――
第三節 母親の情操と教育的役割
   1 情緒不安定な母親に育てられた子供  2 母の体臭――母の胸に抱かれて――
第四節 子供の情緒を不安定にするもの
   1 母のいない家――思い出して御覧――  2 猿の実験――小猿の不安と
安らぎ―― a 親猿に似せた猿の縫いぐるみ  b 針金入りの猿の縫いぐるみ  3 昼間の母親不在に対する私の配慮  
 第十六章 子供達に言い残したいこと
第一節 我が家の子供達へ
第二節 乳幼児の人権と尊厳――母親は避や煙草を用いてはならない――
第三節 精神医学的見地からのまとめ
第四節 実存(existence)としての生
第五節 おわりに
第四部 著者あとがき
第一章 船越家の人達
第一節 内助の功
第二節 兄弟
第三節 診療態度
第四節 船越君の一面
  おわりに



























第一部 教育について思うこと
 第一章 子供の教育
第一節 教育相談――勤めを持つ母親の教育に関する認識――
精神科医としての私は、性格的、人格的に問題を抱える患者さんを診療の対象とすることが多くなります。
不登校(登校拒否)、家庭内暴力、睡眠剤やアルコール、シンナーなどの薬物乱用、職場への不適応等の問題を抱える患者さんの治療に当たっては、患者さん本人をどう治療するきはもちろんのこと、個々の症例に応じて、幼年、少年、青年の各時期における家庭教育に関するアドバイスが治療の大きな部分を占めることになります。症例によっては、育児に関して、母親を教育することが治療行為のほとんどすべてになることもあります。
一般論として、「精神的な成長」とはどういうことか、「子供を精神的成長に導くにはどうすればよいか」なども問題になります。
診療を手伝いながら、横で聞いている看護婦さんが、どんな思いで聞いているか、私はいちいち尋ねはしませんが、子供の教育に関して考えさせられることが多いようです。時には、先刻診療した症例について、彼女は溜め息まじりに感想を述べ、興味深そうに私の意見を求めます。
当然のことながら、育児に関する話に熱がこもることになります。このようなことは、四十数年にわたる私の診療業務の中で、いつも体験されてきたことでしたが、最近は、少し様子が変わってきました。
看護婦さん達をも例外とせず、最近は、若い女性のなかで、育児に強い関心を示す人、育児に関するしっかりした見識を持っている人が、少なくなりました。「こんなことで、子供はまともに育つのだろうか」と、私は不安になることがあります。
彼女達は、決して、教育に無関心というわけではないのでしょうが、先々の生活の不安を感じなくてすむようになった当世では、子供の将来、子供の教育についても、さほど真剣に考えなくても良くなったのでしょうか。又、商業主義的な情報が多過ぎて、注意が散乱し、教育への関心が的を絞り切れないでいるのでしょうか。
家庭における子供の教育について、その心構えを、昼休みなどの雑談の中で話すのですが、「現実には、なかなか難しくて」と、現状肯定の言葉が返ってきます。
女性の職場進出は、致し方ないことであり、結構なことでもあります。しかし、子供の教育の観点からそれを眺める限りでは、多くの問題を将来に先送りすることになります。このことへの答えは、三、四十年後に出てくることになりましょう。
昨今話題になる青少年問題は、問題の氷山がその一角を示し始めているに過ぎません。問題の氷山が形作られるには、もちろん、他にも色々な要因がありますが。
そんな訳で、精神科医の立場からは、士事を持つ若いお母さん達に、『子供の教育』に関して深く考えて頂かなければならないことが沢山あるように思います。

第二節 親はなくても子は育つ?
「親はなくても子は育つ」という言葉があります。この言葉どおりに、食べさせておけば、子供の身体は確かに大きくはなります。しかし、「子供が成長する」、「成人する」という言葉は、生物的な身体の成長のみを意味するとは誰も考えなせん。「成長」という言葉は、身体の成長よりはむしろ、精神的な成長をこそ、より強く意識して用いられているのではないでしょうか。
従って子育てにおいて、「学校の勉強さえできれば、ほかのことはどうでも良い」とは、誰も考えません。良い子とは「優れた心を持つ子」と理解されていましょう。
所で、その「良い子を育てる」にはどうすれば良いのでしょうか?
「三つ子の魂、百まで」、この良く知られている諺は、「幼児期の教育が、人の一生を支配するほどに重要である」ことを教える教訓として知られています。
しかし、幼児期の教育が重要であることは分かっていても、初めての子育てにおいては、若い母親にとって、すべてが初めての体験です。戸惑うことばかりです。父母や知人に教わったこと、育児の書物などを参考にして、試行錯誤を繰り返しながら経験を積んで行きます。一人の例外もなく、すべての人がその道を歩みます。そしてその中で、親もまた、学び続け、親として人として成長します。しかし、初めて子供を育てる若い母親に限らず、何人もの子供を育てた親達でさえも、果たしてどれほどの人が、「子育ての真髄」とでも言うべきものを深く認識しているかどうかは疑問です。
町で見掛ける親子の対話、子供に対する親の言動を見ていると、「この子はどんな子に育つのだろうか」と、他人事ながら、私はしばしば不安にかられることがあります。時には、恐ろしさをさえ感じます。「親がいるのに、子が育たない」時代が来ているような気がしてなりません。それは、近頃の私の偽らざる実感です。
(註)時代は変わりました。最近は、自分の子供を可愛いと思わない親が多くなりました。「子供を可愛いとは思わない」、「望みもしないのに産まれた子」、「母親である自分の自由を束縛する厄介(邪魔)もの」。これらの言葉を平気で口にする親の下で育つ子が、どのような子に育つのか、恐ろしくなります。
心ある人々が嘆く「人心の荒廃」は、これら親達の、またその社会の心の荒廃が、子供に投影された姿です。

第三節 子を思う親の心
しろがね(銀)も
くがね(金)も玉もなにせんに
まされる宝 子にしかめやも
良く知られた古い万葉の歌です。多くの史実や逸話が示すように、古今東西を問わず、子を持つ親にとって、子供は何物にも優る宝です。子供の成長を見守ることは、親の生甲斐であり、親は子供が立派に成長することを夢に見ながら汗を流すことを厭いません。
我が子が人に誉められるのを聞いて喜ばない親はいません。一方、我が子の犯した罪を詫びて、自らの命を断つ親もいます。子供の病気や不幸を見て、「代われるものならば代わってやりたい」という親の言葉は、決して口先だけのものではありません。時折話題になる、親から子への生体臓器移植などはそのよい例です。親にとって、我が子の喜びや悲しみは、自分自身のことに他ならないのです。
このような保護の下で子供は育ちます。

第四節 子供はどう育てれば良いか――人は部品の集合ではない
育児や子供の教育については、色々な書物が出版されています。しかし、それらには実例があまり掲げられていません。一概に、多いとか少ないとかは批評しにくいのですが、読者の理解を深めるためには、やはり、実例を出来るだけ多く取り上げて説明するほうが良いように思われます。しかし、頁数には制限があり、どうしても掲げる実例を省くことになります。その結果、抽象的な記述が多くなり、どの書物も、大体、似たようなスタイルにならざるを得ません。
又、多くの指導書では、「言葉のしつけ」とか「勉強の習慣」などが、項目別にかかれています。それはそれで大切なことには違いないのですが、それらを読まれる方々に、良く考えて頂きたいことがあります。子供(人)は、「言葉づかい」とか「勉強の習慣」とか、個別に作られた部品の集合体ではないということです。
子供(人)は、育ち行く一人格としての心を持ち、統合された主体として学び、成長を遂げます。周りの者はそれを手伝うのです。それが子育てであり、教育です。
又、確かに、子供は親に似ます。しかし、それは、子供が主体的に成長する中で親に似たのであって、親が自分好みの部品を集めて繋ぎ合わせ、自分に似せて子供を作り替えたのではありません。「子供を自分の思いのままに育てよう」なんぞと思う親がいれば、それはあまりにも身勝手、不遜、無謀で愚かなことと言わねばなりません。
親を初めとして、子供の教育にかかわる者は、育ちつつある一人格としての子供(人)の「全人的な成長を手伝うのだ」ということを忘れてはなりません。
この『子育て』が土台にあってこそ、個々の『つけ』が立派に生きてくるのです。しかし、その『子育て』は逆限定的に、教育する側に厳しく『人』を求めることになります。教育する側が、この厳しさを受け止められないようでは、良い教育は出来ません。
良い教育は、教えられる者も教える者も、一緒に学び、一緒に育つのです。

第二章 家庭教育と家庭環境
 第一節 同一化――乳幼児の学習――
子供の学習は、対象に自分を似せる(真似る)ことから始まります。この世に産まれ出ても、体験のないことからは学びようがないのですから当然です。それを「同一化」と呼びます。
「同一化」は、子供の極めて原始的で本能的な感情において、自分が身を任せられる対象(そこには警戒も、恐怖もない)に対してなされます。感情が発達するにつれて、安心出来る人、好きな人に自分を似せようとします。さらに成長すれば、畏敬の念(尊敬)を抱く対象に同一化しようとします。
従って、まずは母親に似ることになります。好きな祖母やお手伝いさんに似ることにもなります。仲の良い遊び友達が出来れば、その友達にも似ます。学校に行くようになれば、素朴に敬愛する先生の真似をし(同一化し)、先生の影響を強く受けます。なんとなく尊敬の念をさえも感じられる人からは、強い情緒を伴って影響を受けます。こうして、人は年齢相応に、色々な状況の下で、色々な程度において、触れ合う人の影響を受けながら成長します。
更に、対象への同一化は、一生の間、続きます。それは、小説に出てくる人物への陶酔にも似た共感であったり、自然の光景であったりすることさえあるかもしれません。更には、止場された強い信仰心を伴う神仏への帰依(同一化)であることもありましょう。
強い感動を伴って受ける影響は、その人の、素養、準備状態、置かれた状況等、様々な要因に左右され、受ける影響もまた様々ということになります。
こうして、それぞれの人に固有の個性、人生哲学、宗教心が養われることになります。
また、対象への同一化によって、受ける影響も、その人の精神的な成長にプラスになることもあれば、マイナスになることもありましょう。こうして、人は固有の人格を形成してゆきます。
しかし、人は、ただ年齢を積み、『身体的な成熟を遂げる』だけでは、『精神的な成熟』に達することはありません。そして、『精神的な成熟に達する』人は、実は、一般の人が漠然と考えるほど多くはないのです。それは、学歴や社会的地位とはあまり関係がありません。
では、どのような人を『精神的に成熟した人』と言うのでしょうか。それについては「はじめ」に述べましたように、本書に紹介する友人がその手記の中で詳しく述べていますので、項を改めて述べる(紹介する)ことにします。

第三節 性格の形成――性格テストに見る親子関係――
 「親を見れば子が分かる。子を見れば親が分かる」と言われますが、前節で、子供の精神面の発達に、家庭環境がいかに重要な役割を果たすかについて述べました。それは、教育に果たす父母の役割を考えれば、当然なことです。
 特に、接触の密度が高い母親が及ぼす影響は決定的です。
 教育に果たす父母の役割を、具体的な例を示しながら説明しましょう。
 
 次の図に示されているのは、私の近くに住む、極めて親しい友人A君(職業…医師)の家族についてなされた性格テスト(矢田部・ギルフォード法)の結果です。第一図に示されているのは、A君の検査結果です。第二図は彼の第一子(B)の、第三図は第二子(C)の、第四図は第三子(D)の性格テストの結果です。
(註)谷田部・ギルフォードの性格テスト
 このテストは、多くの人に知られ、就職試験等にも使われます。又、知らないままに、かなりの人達が、このテストを受けた経験を持っているようです。
 このテストの使用法の概略を説明しておきます。
 質問形式で、例えば、「色々な人と知り合いになるのは楽しみですか」、「人中では、何時も後ろの方に引き込んでいますか」などといった短い文章が百二十問並べられています。それに一つ一つ、「ハイ」、「イイエ」、「どちらとも言えない」のどれかの答を書き込みます。その得点を、判定表の項目別に書き入れ、それぞれの点を結んだ線の形で性格を判定します。

第四節 性格が形成される過程
 A君の家族の、これらの検査は、古い医学雑誌や古い検査結果などを整理(廃棄)するなかで見つかったものです。
 思い出しますが、それらの検査は、何かの目的があってなされたものではありません。遊びに来た時に、遊び半分にやったものです。一人にやらせると、「私も」、「私も」とねだるので、三人の子供達が揃ってやったものでした。そんな訳で、それらの検査は、なん年かの年齢差をおいてなされていました。
 拾い出した検査結果を一纏めにしてみて私は驚きました。図に見られますように、A君親子の検査結果は共通して右下がり型を示しています。しかも、彼等の、それぞれの検査結果が、父親であるA君の検査結果とそっくりなのです。相互に区別がつかないほど似ています。各人についても、小学、中学校、高校、大学の各時代のものに、ほとんど差が認められません。これにも驚きました。
 子供はこうも親に似るものかと、今更ながら改めて思い知らされました。
 性格の土台は、(諸説に述べられているように)一般の想像を超えるほど幼い時期に形作られ、年齢を重ねてもほとんど変わらないこともこの事実は示しています。
 (註)右下がり型の人は、情緒的に安定し、抑うつ性、気分の変化、劣等感、神経質の気味がいずれもない。客観的、強調的で攻撃的でなく、一般に外交的である。すなわち、活動的、のんき、思考的外交でくよくよしない。もちろん、社会的にも外向で、支配的である。社会的適応も良好で、会社、事業所での人受けも良く、職場での適応はスムーズで、ノイローゼなどとは縁の遠い人柄である。非行の傾向もなく、万事につけて好ましいタイプの性格の持ち主である。
 考えてみますに、白紙に絵でも描くように、親は子供に教えます。
「メソメソするな」、「グズグスするな」、「ハキハキものを言え」。
「人に見られては困るようなことはするな」、「嘘は泥棒の始まり。嘘を言うな」。
「先生には、礼儀正しく御挨拶をせよ」、「人から受けた好意にはお礼を言え」。
「外から帰ったら手を洗え」、「肌着は毎日着替えよ」、「食事の時に、無作法なことをしてはならない」。
「それくらいのことで挫けるな」、「我慢せよ」、「もうひと辛抱」、「頑張ってうまくいけば嬉しいでしょう。良かったね」。
「人に良いことをしてあげて良かったね。人に喜んでもらうと自分も嬉しいでしょう」、「自分がされたくないことは、人に向かってしてはならない」、「弱い者をいじめてはならない。自分がいじめられたらどんな気持ちになるか分かるでしょう」、「自分のことより、まず、相手のことを考えてみようね」、「人への思いやりを忘れないように」。
「多くの人が言っていることが、必ずしも正しいとは限らない」、「正しいことをやり抜くには、勇気がいるものだ」、「正しいことをやり抜くには、迫害さえも覚悟しなければならないことがあるのだよ」。
 親たる者は、教育パパ、教育ママでなくても、こうして、朝に晩に言い聞かせるのですから、子供は親に似ない訳がないのです。そしてしかも、幼ければ幼いほど、親の言葉をそのまま受け入れるのですから、その教育的な効果が大きい訳です。

 しかし、「子供に教えるのは、幼いほどよい」とは言っても、子供の精神生活に応じた教え方をしなければ、子供にはそれを受け入れる能力(準備状態)がありません。それは例えば、栄養が豊富だからといって、乳児に硬いものを沢山食べさせても、それを消化する能力がないのと同じです。例えば、甘いとか苦いとか、具体的なことしか理解出来ない三歳や五歳の子供に、誠実、勤勉、忍耐の大切さを、その言葉を用いて教えてもなんの役にも立ちません。そんな抽象的な概念は子供には理解出来ません。
「では、早い時期からそのようなことを学ばせることは不可能ではないか」、「出来るだけ早い時期に教育せよということと矛盾する」という疑問が生じるかもしれません。


 あ、ゴメンナサイ。立ち読み部分はここで終わりなんです。ここまで読んで下さって有りがとうございます。
 このあともっと面白くなりますから買っていただけるとすごく嬉しいです。 

















 あとがき

   昨今の風潮を見るにつけて、色々なことを考えさせられます。精神科医として四十余年を過ごしてきた私の意識野には、殊更に、子供の教育のことが執拗に浮かびます。 
 その問題は、種々の社会問題とも関連して、精神科医に共通の重要課題になっています。自分自身の子育て、公務として関与してきた子供の教育を振り返って見る時、早い時期からの家庭での躾、教育がいかに重要であるかを、私は痛感しています。そんなことを思い浮かべるにつけて、いつも思い出されるのが船越君の家の家庭教育です。
 このたび、彼の手記を通覧させてもらって、子供の家庭教育は、船越君にとっても、極めて重要な問題だったことが分かりました。 。  後略

 























 著者プロフィール


 大正13年生まれ。精神科医。
 共著として、「窓」第五部・医の道はけわしく――報道関係者国家試験の提唱(明窓出版 1991年)第六部・誠実なるもの(明窓出版 1993年)「日本の醫道」最前線名医の提言珠玉集・医学史上に輝く偉大な精神医学者――オイゲン・ブロイラーの人と生涯(明窓出版 1990)ほか。






















本の誕生秘話

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