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従来までの論説における難点の一つは、邪馬台国に行き着こうとするあまり脇目もふらずに論証を進めていったがゆえに、そこに至るまでの諸国に関する吟味が丁寧に行われなかったことにもあると思うのである。
そのためにも倭人伝の一国一国ごとに項を設け、その国に関係のある事柄を、邪馬台国以外の事をもとり混ぜて考証していくことにしたのである。
その結果は、自分でも意外なほどの古代日本の事象展開を見ることとなった。

本文70% 目次 あとがき

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  はじめに


 古今、多くの学者や在野の歴史研究家達が、持てるだけの英知を振り絞り挑戦しながら、未だ解決する事ができない古代史上最大の、そして最も魅力的な問題がある。
 こう書くと、読者の皆さんは、それが邪馬台国問題である事に気づかれる事と思います。
 この日本古代史上最大の論争ともなった邪馬台国問題は、その解けそうで解けない行程記事の不可解さと、卑弥呼という美貌の女性の登場と相まって、日本書紀の時代から多くの学者達の頭を悩ませて来たものである。
 しかし、本格的な邪馬台国研究は江戸時代から儒学者の間で始まったものであり、明治時代ともなると、大学の学者を中心に、一部在野の研究家を混じえながら、現代の邪馬台国論争の基礎が形づくられたのであった。    後略








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       目 次





     目 次
  はじめに…………………………………………………………………………2
一  奴国(奴のつく国について)…何故ナと読むのか………………9
二  対海国……………………………海峡に浮かぶ双子の島…………16
三  一大国……………………………方三百里の丸い島………………21
四  未盧国……………………………右へ行くか左へ行くか…………25
五  伊都国……………………………王の治める小さな国……………33
六  奴国(戸二万の大国)…………辺境の大国となったわけ………38
七  不弥国……………………………かつて港のあった国……………42
八  投馬国……………………………水行二十日の遠い国……………47
九  邪馬台国…………………………桜花に囲まれた女王の都………50
十  狗奴国……………………………卑弥呼と素より和せぬ国………66
十一 狗邪韓国…………………………南乍ら東乍らその北岸とは……70
十二 斯馬国……………………………金印奴国に反逆した国…………90
十三 巳百支国…………………………神々の住んだ高原の国…………94
十四 伊邪国……………………………取り違えられた王墓……………102
十五 都支国……………………………クシフルの峰の麓の国…………104
十六 弥奴国……………………………筑紫平野の要衝の地……………110
十七 好古都国…………………………今も昔も九州屈指の所…………111
十八 不呼国……………………………河口を扼する北部九州の雄……116
十九 姐奴国……………………………三人の女神を祭る国……………117
二十 対蘇国……………………………双子の島の一方の国……………122
二一 蘇奴国……………………………強国に蚕食された小国…………123
二二 呼邑国……………………………大川の囲りに広がる国々………124
二三 華奴蘇奴国………………………裏切りの女王の国……………131
二四 鬼国………………………………東千余里また国を臨む………136
二五 為吾国……………………………折りなす山の国………………137
二六 鬼奴国……………………………現代県名の基となった国……137
二七 邪馬国……………………………探検家達の行き着いた先……138
二八 躬臣国……………………………静かな盆地の国………………142
二九 巴利国……………………………大河のほとりの国……………143
三十 支惟国……………………………九州王朝の夢の跡……………143
三一 烏奴国……………………………どうしても所在不明の国……153
三二 奴国(最終国)…………………女王の境界のつきる国………153
    金印奴国……………………………倭国を統一した国の歴史………154

  おわりに………………………………………………………………………167










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 一 奴国(奴のつく国について)






 邪馬台国論争を、現在に至るまで、混迷の淵に沈める事となった一因は、「奴」を「ナ」と読んだ事にあった。
 それが、この論文を起すにあたり、奴国を最初に論考することとなった理由である。
 この「奴」という漢字は、倭人伝中の国名に多用されており、この字を何と発音するかは、国名が何であり、どこにあったかを知る最大の手がかりでもある。
 倭人伝に出てくる国は次の如くであり、定説的な呼び名をつけておいた。
 狗邪韓(クヤカン)・対海(海は馬の誤りでツイマ)・一大(大は支の誤りでイキ)・末盧(マツロ)・伊都(イト)・奴(ナ)・不弥(フミ)・投馬(トウマ)・邪馬壹(壹は台の誤りでヤマタイ)・斯馬(シマ)・巳百支(ミヒャクキ)・伊邪(イヤ)・都支(トキ)・弥奴(ミナ)・好古都(コォコト)・不呼(フコ)・姐奴(シャナ)・対蘇(タイソ)・蘇奴(ソナ)・呼邑(コユウ)・華奴蘇奴(カナソナ)・鬼(キ)・為吾(イゴ)・鬼奴(キナ)・邪馬(ヤマ)・躬臣(キュウシン)・巴利(ハリ)・支惟(キシイ)・烏奴(ウナ)・奴(ナ)・狗奴(クナ)・侏儒(シュジュ)・裸(ラ)・黒歯(コクシ)
 侏儒・裸・黒歯及び韓国については、考察よりはずした。
 右の国々のうち、其の余の傍国の場所について、参考までに宮崎康平氏の著書「まぼろしの邪馬台国」での、彼の比定地をあげておきたい。ただし、彼の国名の読みは、右の定説的な読みとは、異なっているものもある。
 斯馬→鹿島  巳百支→佐世保  伊邪→伊万里  郡支(都支)→小城  弥奴→三根  好古都→鏡(熊本県)  不呼→宇土  姐奴→御船(熊本県)  対蘇→高千穂  蘇奴→阿蘇  呼邑→熊本  華奴蘇奴→山鹿  鬼→菊池  為吾→山鹿西部  鬼奴→玉名  邪馬→山門  躬臣 →久留米  巴利→原鶴  支惟→基肄  烏奴→宇美  狗奴→球磨川下流域
 彼は、奴をノと読んでいる。無秩序に並んでいるのではなく、一つ一つ道順がある如く並べられているように、彼はパズルを解くが如く、地名を見つけて行って、隙間なく埋めたのである。
 ちなみに彼の発見した邪馬台国は、島原半島の也万田であるという。
 他の方々の比定地も、この辺りではないかと見当をつけてから似た音を捜し出して比定したり、偶然似た音を見つけ、そこと比定したり、国と国の間に広い空間があっても気にしない、という具合の比定地が多い。

 さて、奴のつく国の事であるが、倭人伝には、奴のつく国が九ヶ国記載されており、国名三十一ヶ国の中で、三十パーセント近い値を占めているのである。
 この事は、当時の倭国内において、奴と中国の文書に記載された音のつく地名が、広く存在していた事を意味していると思う。そして、これほど大量の奴のつく国名、地名があったとすれば、千七百年たった現代でも、その名残りが地名の中にあるはずである。
 定説では、奴はナと発音されていたとして、揺るぎないものとされているのであるが、その根拠は次のようなものである。
 江戸時代中期に、新井白石という儒学者がいた。彼が著した書物「古史通或問」に、倭人伝の国名についての考察が載っている。
 その中で、彼は、倭人伝に出てくる国名を後世の地名の中から捜し出すという方法で、国名を比定して行った。そしてそれは、前述したように、現在でも多くの邪馬台国研究者達がとっている方法なのである。
 対海国を対馬に、一大国を壱岐に、末盧国を松浦にと当てていったのである。
 ここまでは順調であったので、彼はそのまま、次の伊都国をイトと読み、松浦の近くでイトという地名を捜し、糸島半島の南方に怡土なる地名を見つけ出し、そこを伊都国として、地名による国名比定を続けたのである。
 しかし、イトという地名はぴったりなのであるが、方角が松浦(唐津)の東南とは言いがたい。だが白石は方角にはこだわらない人物のようで、武光誠氏によると「何の説明もなく、史料の南を東と読みかえるという欠点を持っていた」と言う事になる。
 おそらく彼は、何の疑問もなく、伊都国は怡土でよいと考えたのであろう。
 次の奴国であるが、これは後まわしにして、その次の不弥(フミ)国をみたい。フミの読みに似た音の地名を捜してみると、福岡市の東に、宇美(ウミ)という地名が見つかる。そこが不弥国だとすれば、順番からして、奴国は怡土と宇美の中間にあるはずである。とすると、その中間の地は、那の津と呼ばれた博多である。そこで「奴」は「ヌ」と読み、それが訛って「ナ」となり、「ナノツ」とされるようになったと考えた。
 こうして、白石の地名考察は、そのまま現代にも受け継がれ、定説となり、誰も疑う事なく邪馬台国比定地探索の原点とされたのである。方角が合わないのに、である。
 さらに驚いた事には、それまで、「ヌ」が転訛して「ナ」となったとされていたのに、現代では、「奴」そのものが、三国時代の中国で「ナ」と発音されていたとなっている事である。これでは本末転倒である。
 私が中学の頃、世界史で漢の時代、中国の北方に匈奴という民族がいたと教わったが、その時の読みは(キョウド)であった。漢の時代、また三国時代では、「奴」は、「ト・ド」と発音していた、と言語学者は考えていたのである。
 私は、この、かつての言語学者の考えを取り入れ、「奴」は「ト・ド」と発音したものとして、以下の考察をすすめる事にした。
 話は前に戻るが、倭人伝に奴のつく国名が多い事から、現在でも「ト・ド」のつく地名が残っていると考えられる。そこで「ト・ド」の音が末につく地名を捜してみた。
 平戸・崎戸・宇土・西都・佐土(原)・志登・瀬戸・音戸・山門・長門・怡土・本渡・大和などが見いだされた。主に九州に多く見られるようである。
 多くの「ト・ド」のついた地名が見つけられたが、これらは、古くは共通の意味を持って付けられたものであると思う。
 その一つの意味は、土地・集落・国という意味だと思う。
 集落の基本単位である家の、その入口を表わす言葉の戸(トは訓読み)を、土地・集落・国を表わす言葉として使用したのであろう。
 中国人は、それを、意味を知っていながら、戸(ト)と同音の「奴」を使って記したのである。
 国等を表わす「奴」を、何故訳して「国」と表わさなかったかというと、これは、外国人が地名を自国語に直して使う時の慣例である。
 例えば、相模川はサガミガワリバーであり、今別川(別はアイヌ語で川の意味)は、イマベツガワリバーとなるわけである。
 もう一つの意味は、開閉する戸に関係のある、戸口・入口の意味があると思う。
 倭人伝の中に、何もつかない奴国が二ヶ国出てくる。一つは、戸二万の大国であり、あと一つは
 
 あ、ゴメンナサイ。立ち読み部分はここで終わりなんです。ここまで読んで下さって有りがとうございます。
 このあともっと面白くなりますから買っていただけるとすごく嬉しいです。 


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 おわりに


 二十数年も昔、当時二十代であった私は、単なる歴史のファンで古代史の本を読み漁っていただけなのであったが、様々な人々が邪馬台国に関して実に綿密に論証した候補地をあげているにもかかわらず、今一つしっくりした物がない事に気づいた。そこで、自分も邪馬台国を捜し当ててみようと、机上での探索を試みた事があった。
 その結果行きついた先は、佐賀平野の中央部佐賀市であった。そこに行きつきながら思った事は、こんな所に邪馬台国の都がある筈がない、という結論であった。佐賀平野には、当時、著名な遺跡がなかったからである。
 そして、この問題を放っておく内に、いつしか、私の心は古代史そのものから離れていったのであった。
 忘れさっていた筈の、この佐賀市の事を再び思い出す事になったのは、一九八九年の春の吉野ヶ里遺跡の発見のニュースであった。     後略

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著者略歴 >
後藤幸彦(ごとうゆきひこ)
一九四七年 青森県青森市に生まれる。
一九七〇年 弘前大学教育学部卒業後、神奈川県相模原市の小学校教諭として勤務。
現在に至る。

住所 〒229-1134神奈川県相模原市下九沢1668-19


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