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パリ、巴里、Pari 芸術の都、最新ファッションの生まれる街、セーヌのほとり、恋人たちは愛を語 り、枯れ葉舞う中、コートの襟を立てて歩く、ダンディな男の背中には哀愁が漂 い……。ああ、憧れのパリ、夢のパリ。
「憧れの」とか、「夢の」なんていうフレーズは、時間的、金銭的に、ちょっと 余裕があれば、誰でもひとっ飛びでヨーロッパに渡れるようになった現在(い ま)、ずいぶんと古臭く聞こえるかもしれない。
しかし、たとえパリに数回来たことがある人にとっても、パリにはやはりいつま でも「憧れ」という形容詞が似つかわしいような気がする。かくいうわた しも、
──中学時代──
落合恵子さんのエッセイが好きで、その中によく登場する、フランソワーズ・サ ガンの小説から始まり、ボヴォアール、サルトル、カミュなどを読みあさり、リ ンガフォンのフランス語カセットLL全20巻を、バースディプレゼントに買っても らう(未だそのうち5本しか聴いたことがない)。

前書き 目次

本文70% あとがき 感想BBS
Copyright (C) 2007 明窓出版, All rights reserved













●●●●●著者名●●●●●著





●●●●●タイトル●●●●●


●●●●●サブタイトル●●●●●




明窓出版



















推薦の言葉
●●●●●推薦の言葉の中身●●●●●

































まえがき

●●●●●まえがきの中身●●●●●

























目次





はじめに
第一章パリでの生活スタート
ホーム・スティで始まったパリのエンジョイライフ
カルト・オランジュを買う
メトロ(地下鉄)の話
便利で不便だということ
電車内や、駅構内で、お金を集める人々
オシャレなホーム
こんなに大変だとは思わなかった住まい探し
電話を引く
銀行に口座を開く
語学学校について

第二章フランス人ウォッチング
意外に親切だということ
フランス人の英語
車事情
電話のかけ方
お店での接客態度
海辺にて
アルカッションの熱い夜
フランス人の日本趣味
フランス人のマダム・クレッソン評
シャンゼリゼの名物おまわりさん
シャルル・ド・ゴール空港にて
国粋主義のフランス人
今だに根強い専門店志向
日本についてのTV番組

第三章やっぱりおもしろい文化の違い
公園にて
チップの話
カフェ
ノエル(クリスマス)
湾岸戦争のころ
風邪をひいたときの話
フランス人は、やっぱり狩猟民族だということ
チュトワイエsヴヴォワイエ

第四章だれでも、しょっちゅう遭遇する、不都合なこと、困ったこと
とにかく多いスト
TVこわれる(不動産屋の対応)
電話こわれる
突然の停電
キャッシュ・カードくわれる
年期の入ったアパルトマンT
年期の入ったアパルトマンU
TGVで
ヴェルサイユにて
千一夜物語
パリのタクシー
あるパーティにて

第五章パリで出会った日本人たち
日本人会について
パリの日本人たち
やっぱりみんな和食党
ブティック店長Y氏
日本人経営の美容院
ディスコで出会った自衛隊員
パーティで出会ったちょっと(すっごく)変わった日本人たち
謎の指圧師M氏
女優K嬢
貴族N氏
日本人同志という気安さにある罠

第六章フランスでの楽しみ方――パリと上手につきあうには――
いかに効率よく、フランス語を学ぶか
フランス人の友達を作ろう
パリの恋愛事情
バカンスは、おおいにいく
スペクタクル
オペラ、バレー
ナイト・ライフ
ジャズ・クラブ
シャンソニエ
テレビ
映画
マルシエ・オ・ピュス(のみの市)
フランス料理を食べにいく
充実しているイベント関係
音楽祭
パリ祭(大革命記念日)
映画の日
ル・マン二四時間耐久レース
シャンティの花火大会
日帰り旅行のすすめ

おわりに――それでも少女は夢みるパリ――




























ホーム・ステイ(ファミーユ)で始まったパリのエンジョイ・ライフ

兎がはね回る、シャルル・ド・ゴール空港に降り立ったのは、九月初旬のことだった。
フランスの入国審査は実に簡単で、EC国とそれ以外の国と、窓口は分かれてはいるものの、ちらっとパスポートに目を通すだけで終わってしまう。三ヶ月のスタンプも、頼まないと押してくれない場合がほとんどである。
オーディオ・セットなどの大荷物と共に、タクシーに乗り込む私の胸には、不安と期待とが渦巻いている。私はこのフランスに来て、生まれて初めて他人の家にお世話になるのだ。
何事につけマイペースで、他人からの干渉が嫌いな私が、ホーム・スティをすることになったのには、理由がある。パリに来る前の、一年以上のロンドン生活で増えていた荷物を送るための受け取り先が、どうしても必要だったのだ。
パリには、荷物を頼めるような親しい知り合いもいなかったし、一ヶ月ぐらいなら、フランスの家庭というものを体験するのもいいだろうと、安易に申し込んだのだった。
ホーム・スティ先は、パリの狭さや、住宅事情の悪さから、郊外である場合が多い。
私のファーミュは、パリの南郊外にある、ソー公園の近くだった。郊外には不慣れなタクシーの運転手が、さんざん迷ったあげくやっと着いたのは、ちょっと小高いところにある、山小屋風の一軒家。
出迎えてくれたムッシューは、やや小太りでニコニコと、とても人が好さそうである。そのムッシューの母親であるマダムも、「まぁまぁ、疲れたでしょう。夕食をおあがりなさい」などと、かいがいしくテーブルにつかせてくれ、たいへん感じがいい。

ここのファミーユでは、朝は熱いカフェ・オ・レにバケットと、典型的なフランスのプティ・デジョネ(朝食)だが、夜は毎晩、フルコースのディネ(夕食)がだされていた。もちろん、レストランのような手の込んだ料理ではないが、前菜にはサラダや、生ハムをのせたメロン、メインはステーキやグリルド・チキンに温野菜、その後、日本のお漬物にあたるともいえる、フロマージュ(チーズ)が出され、デザートは果物やヨーグルト、またはタルトなどの手作りケーキ、そしてコーヒーや紅茶プラス、チョコレートなどでしめくくられる。
ワインも食事のたびにすすめてくれ、ワイン好きの私にとっては、まったく申し分なかったといえる。料理はいかにも家庭的なおばあちゃんの味で、いつも夕食が楽しみだった。
しかし、フランスでのホーム・スティは、いつもこうかといえばそれはむしろ反対で、私のいたファミーユのようなところが例外といえるようだ。
いつも冷凍食品ばかりとか、マッシュポテトがほとんどで、肉魚類はめったに出てこない。また、たまに友達を連れてきてお茶でも煎れようとすると、「こんな電気代は、スティ費用に含まれていない」とブツブツいわれる、などというほうが、一般的といえるらしい。
他人のこうした苦労話を聞くたび、私は表面では「まぁ、それは大変だったわねえ」なんて悦に入っていた。
しかし、家の人の感じがよく、食事も充実しているなんて、申し分のない家庭のように思えるが、それなりの気苦労ももちろんある。
夜、11時過ぎに帰宅した時には、家の中はすでに寝静まっているので、どんなに疲れていようとお風呂は遠慮しなくてはいけない。こちらは、音に関してはけっこう神経質で、十時以降はお風呂を使わないのが常識になっているという。
お風呂は、次の日の朝イチにでも入れるのでまあいいが、夜中はトイレを流さないでほしいといわれたのには困った。ティッシュでも上に置いておけばいいからといわれるのだが、私はどうもいやで、九時以降はなるべく水分をとらないとか、涙ぐまして努力をしていた。
それから、ムッシューとその一人息子が、テーブル上でしょっちゅう口論を始めるのである。息子は十五歳という反抗期であり、また、両親が離婚して母親が家を出ているので、(ちなみにこちらの離婚率は三組に一組の割合。いつまでも仲よく暮らしているほうが珍しい)精神的に不安定なこともあったらしい。
そういう時は、私とマダムは黙々と食事をするのであったが、口論中の二人の向こうにある塩やソースが欲しい時など、<白熱しているのに、塩取ってなんてとてもいえないわよねえ。あっ、ちょっと間があいた。今がチャンスだ!でも、どっちに頼もうかしらん。二人とも険しい顔してるし……>なんてうだうだ様子をうかがっているうち、また議論沸騰してしまうのだった。
話は変わるが、そこの家庭にはカラーテレビが無く、小さな白黒テレビが一台置いているだけだった。これは、一部屋に一台、テレビもビデオもあるのがあたりまえになってきている日本から来た私には大驚きで、<この家はそんなに貧しいのかしらん>と気の毒になってしまった。テレビ好きではないからなのかというと、そうでもなく、夕食が終わると、みんなテレビを囲んで寝るまでソファーにくつろぐのである。
その上なおびっくりしたことには、ムッシューは、フランス随一の家具メーカー「トムソン」に勤めているのである。
しかも、その家がそれほど貧乏であるはずがなかった。ムッシューはホワイトカラーで、課長程度の役職にはいるようだったし、二階の三部屋にそれぞれ店子をおいているので、家計は潤っているようにみえる。生活ぶりにしたって、ケチケチしたところはない。
私は不審に思ったが、理由は簡単。電気製品が驚きの高さなのである。日本のごく一般家庭にあるような20インチ程度のテレビが、5千フラン(十二万程度)以上もする。しかも、幅の広い、日本の一時代、いや二時代も三時代も昔の形。品質がよく、画像の美しい世界のソニーや日本製品だと、その三割ぐらいまた高くなる。その上、こちらの所得は日本より低いので、なおさら割高になる。
こちらの一人暮しの学生などの大半がテレビを持っていないのも、これならうなずける。
オーディオ製品に関しても、なんでも日本の倍以上する。だから、CDや、ビデオの普及率は、日本に比べると大分低い。そういう意味での生活水準では、日本のほうが百歩も千歩も進んでいるように思える。
だが、フランス人は、日本人よりは広い部屋に住んでいる。東京の平均的な暮らしをフランス人に見せれば、いくらファジー機能満載の家電や、最新のオーディオシステムがあろうと、「こんなところに住むのはゴメンだね」といわれるのは間違いない。
どちらも一長一短で、<世の中、なかなか都合よくはいかないものだなあ>と考えさせられてしまった。

カルト・オランジュ(オレンジ・カード)を買う
カルト・オランジュは、メトロ(地下鉄)、バス、郊外線の全部に共通して使える、大変便利な定期券である。しかも安く、一か月で百九十フラン(四千五百円ぐらい)で、パリ市内とその近郊にはどこでもいける。
すでに申し込んであったフランス語学校に初登校の朝、私は駅の窓口で、一か月のカルト・オランジュを頼んだ。
ところが、五百フラン札を差し出したところ、おつりが無いという。キャッシャーをのぞいてみると、確かにお札も小銭もまったく入っていない。
それなら、銀行へでもいって小銭をつくってくればよさそうなものなのに、その窓口の女性と隣に座っていた男性は、なにやら楽しそうに談笑している。小さな駅だったので、お金をくずせる売店もないし、回りにお店も見えないし、私はすっかり途方にくれてしまった。
ちらほらやってくる、他の客達が切符を買って、おつりをつくってくれることを期待して、しばらく待ってみたのだが、たいがいはカルト・オランジュや回数券を持っている。
<こんなことをしていたら日が暮れてしまう>と思った私は、最寄りの銀行を駅員に聞いて、ゆうに五分は歩いてやっとその銀行に着いてみると、なぜだか閉まっている。お昼休みの時間でもないし、平日だったので定休日だとも思えないし、しばし呆然としてしまったが、少し先にタバック(カフェと煙草屋を兼ねているところ)を見つけ、やっとお金をくずすことができた。
駅に戻ってついにカルト・オランジュを手に入れるまでに約四十分!当然学校には、初登校の初遅刻である。私は、気分的にすっかり疲れてしまい、日本の便利さを改めて思い起こしてみたのだった。

メトロ(地下鉄)の話

便利で不便だということ

パリは、東京より大分狭いわりには、十三本もの地下鉄と、三本の高速地下鉄(R・E・
R)が走っていて、どこへ行くにも大変便利である。
ところが、直線に走っている線は少なく、ほとんどの路線はずいぶんと大まわりしているので、地図上で見た距離から受ける感じよりも、大分時間がかかることがある。
それに、サン・ラザール駅や、モンパルナス駅などでの乗り換えは、ラインによっていやというほど歩かされる。駅と駅との距離が短いパリのこと、二駅分は歩いているような気さえする。「これでもか、これでもか」と歩いていっても、まだ迷路が続き、「お願い、もういいかげんにして」と言いたくなる。
また、「パリはいたるところに駅があり、迷子になっても、五分も歩けばメトロの駅が見つかる」というのをよく聞くが、これをうのみにしていると、路頭に迷うようなこともある。
たとえば、二本のラインが平行して走っているようなところは、その二本の間の平行線上を歩いていたりすると、いつまでたってもどちらの線の駅にもたどりつけない。迷ったと思ったら、誰かに一番近いメトロの駅を教えてもらうのが、やはり利口である。
地下鉄を降りるときに、慣れないうちに注意すべきなのは、扉が開いてもすぐに足を踏み出さないこと。扉は、電車が止まりきる前に開くので、知らずに降りようとした観光客が、よくつんのめってひっくり返りそうになっている。
パリの地下鉄は、降りる人がハンドルを回したり、ボタンを押したりして、自分で扉を開けるようになっている。節電のために、降りる人のないドアは開閉しないように作られているらしいが、<そういうシステムにするためにかかるコストのほうが、ずっと高いんじゃないかしらん>と、私は思う。
外に続く出口には、たいがい内側からしか開かないようなドアが付いているが、このドアが並たいていじゃなく重いところがある。全身の力を込めて、勢いをつけて押してもビクともしないので、男性が開けた他のドアを通るしかない。
力の弱い老人が、誰かが開けてくれるのをわきのほうで待っているというのも、よく見かけることだ。
なぜこんなに重いドアを付ける必要があるのか、さっぱりわからない。

電車内や駅構内でお金を集める人々
パリに来て、初めのうちに驚いたのは、地下鉄にはなんのパフォーマンスもなく、ただお金をせびるだけの人たちが、たくさん乗ってくれることだった。
車両のはしのドアから乗ってきて、「メダムエメシュー(紳士淑女の皆さん)」と大声で呼びかけ、あるときは赤ちゃんを抱いたジプシーの女性が、「この子に食べさせるために」といっていたり、また、中年の男性がなまりの強いフランス語で、「私はルーマニアから逃れてきた難民で、働き口が見つからず昨日から何も食べていない」といっていたりする。
たいがいは一車両で、三、四人の乗客が小銭をあげているが、よく理解できないのが、お酒の匂いをプンプンさせた酔っぱらいが、「どうぞ、優しいお心を」などといっているのに、お金をあげている人が、けっこういるということである。
他人がお酒を飲むためのお金を、よく出す気になるものだ。これもキリスト教の慈愛の精神なのだろうか。
階段の下で、二十歳ぐらいの男の子が、「家なし、おなかがすいている」と書かれた紙を持って、大声でオイオイ泣いているのを見たこともある。通りすがりの人たちも、さすがにギョッとした様子で眺めていた。
彼の様子があまりにも気の毒だったので、十フランあげると、彼はむせるような声で、「メルシ」といった後、まだ声を上げて泣いている。<あんなに泣いたら、なおさらおなかがすくのに……>と、私は思った。

ウディ・アレンのような雰囲気の、アメリカ人に話しかけられた時のこと。


あ、ゴメンナサイ。立ち読み部分はここで終わりなんです。ここまで読んで下さって有りがとうございます。
このあともっと面白くなりますから買っていただけるとすごく嬉しいです。




















あとがき


――それでも少女は夢見るパリ

とにかく、パリ暮らしは楽じゃない。
変なやつは多いし、不都合なことも、不愉快なことも、たくさん、たくさんある。

それでも……、それでもなのだ。
私がパリを愛する気持ちは、少女のころとまったく変わらない。いや、今はもっと増しているともいえる。
セーヌの河畔をそぞろ歩くと、日常雑多な形而上のネガなことなんて、すべて忘れてしまえる。
アレクサンダーV世橋の欄干にもたれ、セーヌの上をすべるように行き過ぎるバトー・ムッシュを眺める。
低く垂れこめた、灰色の雲の下に、古くからまったく変ることのない、切ないほどに美しい街並み。
私の心には、最初にパリを訪れた時と変わらぬ感動が湧き上がってくる。
それはまるで、少女のころに初めて「秘密の花園」を読んだ時にも似て、深い憧憬の念を呼び起こされるのだ。
つぎの瞬間、私の心は歓喜の叫びを上げる。

「私はパリにいるんだ。パリに。パリに。パリに!」

最後に。
パリを知る人は幸いである。その人は永遠に夢を持ち、それを愛する心を失わないであろう。
いつまでも夢を見続けることができる街、それがパリである。
























著者プロフィール

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