旅慣れてなくたってなんとかなるよ
可笑し楽しい『インド放浪記』
好敵手ブル、ヒゲ、アザラシを相手に、はるかな街へと旅は続く……。
「インドって国はまるで雑巾の上を歩いているような国だよ」と聞かされたとき、それまで日本と同じ先進国しか見ていなかったボクの体がブルッと震え、足の先から毛髪の先端までが、ちょっと大げさとも思えるその話に聞き入っていたのを覚えている。
 確かにカルカッタやバラナシの路地裏などを歩いていると、我が家の雑巾のほうがよっぽどきれいなんじゃないかと思ったことも度々あったりして、それを思うとなぜこうもそんな国を懐かしがるのか自分でも不思議だ。

ホームへ 前書き 目次 70% あとがき

著者profile














 
         雫はじめ 著





 成田の西 7100キロ

Shizuku Hajime



                                   明窓出版



















   推薦の言葉
●●●●●推薦の言葉の中身●●●●●

































 はじめに


 八年前の夏も終わりに近づいた頃、心はすでに日本にあらずでインドの旅支度をしていたとき、折から日本では青やぎという貝からのコレラ騒ぎが巻き起こり、ボクもちょっとびびったことを覚えている。横浜にある検疫所に行き、「インドへ行くんですがやはりコレラと肝炎の注射をしたほうがいいですか」と聞いたとき、世界地図を広げた職員は、「ここに赤く塗り潰された国はコレラの要注意国です」とかの意味のことをボクに言った。赤色も濃淡で三段階くらいあったように思う。     後略
























       目 次



デリー〜アグラ編
  因縁の男、ブルと出会う 8
  野郎三人アグラをめざす 14
  ビール片手にヒゲの運転 20
  最後にもらったカウンター 25

バラナシ編
  ここで死ねれば本望の街 29
  沐浴の仕方も十人十色 32
  ガンガーはごった煮のような河だった 37
ブバネーシュワル編
  フワフワベッドで寝るはめに 41
  自称サドゥー≠ェ幅利かす 44
  シュワちゃんの家にお邪魔する 48
カルカッタ編
  カーリー女神は閻魔のようだ 53
  小錦サイズのクルターパジャマ 59
  一周四二四歩かかったバニヤンの樹 62
  ハウラー駅でとどめの一発 68

デリー編
  七年ぶりの再訪 72
  切符の予約に半日つぶす 75
  リベンジのときを待つ 78
  張り切りおやじのオートリクシャー 81
  大名旅行でもしてみるか 87



























  デリー〜アグラ編






  因縁の男、ブルと出会う


 一九九一年九月二六日、ボクの日記から
「日本時間20:45、現地時間17:15、成田から七一〇〇キロメートル、窓の下にデリーの街の灯が見えた。機内放送によるとデリーは今三七度とのこと。いやー暑そー!」
 覚悟はしていたけれど気温三七度の放送に、いきなり軽いパンチをもらった気分で降り立ったインド・デリー。これは日本へ戻るまでの二週間、まあKO負けだけは避けるべく、「インドよ、ひとつお手やわらかに」と題したおのぼりさん見聞録。
「三七度といっても、四月、五月の五〇度近くに比べればなんてことないよ」なんて強がっちゃって、とりあえず宿探しのためにタクシーを拾おうと、空港の扉を開け外に出る。エアコンの効いた空港内とは一変した湿気たっぷりの生ぬるい空気に触れ、Tシャツがにわかにべたついてくるのがわかる。
ムワ〜〜〜ン、モワ〜〜〜ン≠ィお三七度の実感。夕方でこの気温だとすれば、日中は四〇度以上なのだろう、などとインドの暑さに感動? している間もなく、いつの間にかボクの回りは「オー、ジャポニ、ジャポニ」と十人程の人だかりだ。これはタクシーの運転手達で、日本人というかっこうのカモを自分達の車に乗せたいらしく、運転手同士が言い争うシーンさえ見られる。そしてひとりが、ボクの腕をつかまえて強引に車に乗せようとする。(おい、人の腕をそんなに引っ張るなって。日本ならキャッチセールスは捕まるよ)とか思ったところで、彼らはお構いなしだ。インド到着三〇分にして、いやはや先が思いやられる。
 拉致されたごとくなかば強引に車に連れ込まれちょっと驚いたが、まったく地理のわからない夜の街だし、とにかく空港から近くて安いホテル迄行ってくれるよう運転手に頼む。「ノープロブレム」。
 このときはじめて聞かされたこの言葉を、この先のインドの旅で耳にたこができるほど聞かされる事になる。
 値段が高いと文句を言えば「ノープロブレム」。このメニューは辛くないかと聞けば「ノープロブレム」。あげくが、料金は高いまま、テーブルに運ばれてきた料理の辛いこと辛いこと。のちのちの体験からインドで「ノープロブレム」と言われたら、「とやかく言わずに俺に従え」くらいの意味だということがしだいにわかってくる。とにかくこの「ノープロブレム」という言葉こそが、旅行者にとっては一番のプロブレムであったのだ。
 ホテル迄の道を車はかなりのスピードで飛ばしていくが、道路が完全に舗装されていないものだから、ひどい揺れでからだが跳びはねてしまうほどだ。窓から外を眺めると、街灯やネオンなどほとんどない夜の道端で、裸電球の露店で商売をしている人達の光景の中に、現地の男達が、非常にというより異常に多いことに気がつく。街中にたむろしているのは必ず男達であって、まず女性の姿はなかった。その後訪れたカルカッタなど別の街でも同じ光景を目にしたが、それが彼らにとっては、ごく当たり前の慣習にすぎなかったにしろ、あれほど多くの男達が夜の夜中に何をするでもなく、ただ外に出て時間をつぶしていることが容易には理解できなかった。
 着いた宿はエアポートホテルという、りっぱな名前とは正反対のぼろホテル。そのくせ三〇〇ルピー(当時一ルピーは六円ほど)とちと高め。ちょうど入れ替わりに、チェックアウトする現地の人が出てきたので請求書を覗こうとしたら、フロントの人間がうまくそれを折りたたんで彼のポケットへ。彼もその意図がわかっているのか、ボクの前で料金を確かめることはしない。はたして現地の人間というのは、このぼろホテルに一泊いくらで泊まっていたんだろうか。
 ホテルを出てしばらく歩くと、空港からの途中目にした裸電球の露店が、あちこちに点在する。現地の子供達がたむろしている、飴やビスケットを売っている駄菓子屋の隣に、バナナやオレンジを置いた露店があり、そこで買い物をしてホテル迄戻ろうとすると、駄菓子屋にたむろしていた子供達がものめずらしそうにボクの後をついてきた。ボクにじゃれてきて、腕に捕まったり手を握ってくる者もいる。見るからにカーストの低い子供達だ。その子達から見ればカーストの違う回りのインド人に触れることのできない分(子供達は子供達なりにそのことをしっかりとわきまえているらしい)、外国人の旅行者に甘えるらしい。もし身分の違うカーストの人間のからだを触ったりしたら、殴り殺されても文句は言えないそうだ。
 こうして屈託のない人懐こい笑顔で戯れてくる現地の子供達に、買ったオレンジでも分けてあげたかったが、一人だけにあげるわけにもいかず、このままホテルまでついてこられても困るので、ここは日本人特有の愛想笑いでもって、手を振って子供達と別れることにした。
 デリーの街では日中の暑さに車のクラクションのバカ騒ぎが加わって、やわな日本人にはそれがボディーブローのようにじわじわと効いてくる。そんな人間達を横目に、路上ではお牛様が暑さや喧噪もなんのその、瞑想にでもふけっているのかまったく動く気配もなくデンと座り込んでいる。ドライバー諸氏も慣れた運転で牛をヒョイヒョイ避けて通る。それでも、「そこにあなたにいられると邪魔なのよ」という場合はいよいよ渋滞の始まりだ。クラクションを鳴らしてもだめな時は、ドライバーが一致協力、牛の尻をひっぱたいての強制撤去。それには神の使者といえども生身のからだ、痛さがわかっちゃうもんだから逃げる逃げる。
「おい、そこの牛君。君は神に仕えているんじゃないのかい」とか思って見ていても、なんとも情けない表情の牛が上目遣いにボクを見て、「そんなこと言ったって、こっちだって叩かれりゃ痛いから逃げるんでさあ」と言ってるようでおかしくなる。
 糞害はじめ露店の商品をちょっと失礼と盗み食いする牛には、現地のインド人もほとほと手を焼いている様子が伺える。
 ややバテ気味のなか、ニューデリーの駅の柱に寄り掛かりながらそんな街を観察していると、うしろからかっぷくのいいブルドッグ似の中年男が、何やらボクに声をかけてきた。ヒンドゥー語のわけのわからない世界にいたとき、とりあえず英語で話されるとなんとなくホッとするという錯覚のなか、彼に案内され駅前のツーリストオフィスへ行く。
 そして……。

 野郎三人アグラをめざす

 当初、タージマハルで有名なアグラまで、列車の往復チケットを買うつもりでいたボクに、このブルドッグ似の男(以下ブル)は突然名案があると言い出した。
「列車の時間までまだだいぶ時間があるぞ。それならばタクシーの運転手をやっている俺の友達に車を運転させて一緒に行こう」と言う。こっちとしては当初の予定が狂いあまり気乗りはしなかったが、所詮ハプニングを期待しての一人旅ということもあり、成り行きに任せてOKをした。ほどなくしてブルの友達だという、あまり愛想のよくない口ヒゲの男が車に乗って現れ、三人でのタージマハル観光とあいなった。
 気温は優に四〇度を越えているが、走行中開けっ放しの窓からはいやおうなしに熱風と土ぼこりが襲ってくる。エアコンなどそんなしゃれたもののないヒゲの車では、片道四〜五時間の行程はかなりの苦痛で、初志貫徹あのまま列車に乗っていればと思ってみても後の祭り、何とも不快指数が上がりっぱなしのドライブとなった。
 現地語なので何と言っているのかわからないが、走行中は助手席のブルがたえずヒゲを指図している様子で、ヒゲもブルの言うことにいちいち頷き、ルームミラーでチラッと後部座席のボクに目をやるといった具合。料金は乗る前に必ず決めておかねばならなかったことなのだが、こうして乗ってしまった以上いまさら交渉もできないし、初歩的なミスを反省しつつ、なるようになるだろうとブル達と旅を続けた。
 大地の水分をあらん限り吸い尽くしそうな灼熱の太陽の下、サリー姿の女達が頭に砂利を載せながら道路の舗装工事現場で働いている光景に何度か出くわし、その力強い生き方に驚かされるとともに、彼女達になんか申し訳無くなってきたりもする。
 農村地帯にさしかかったとき、ヤギの集団に道をふさがれしばし唖然。こうした際に、わりとのんびり寛容なインド人、ヤギが通り過ぎるまでしばしの停車、というイメージがあったが、そんなのどかな農村風景のイメージなどぶっ飛んだ。ヒゲはクラクションを鳴らしながら強引にヤギの集団をかき分けて進もうとするし、ブルは助手席から大声で、外のヤギ使いの男を怒鳴り散らし、なにか紐のようなもので男を引っぱたこうとしている。そのヤギ使いの男は紐が届かないところで車の中のボク達を見ていた。こいつらいったい何物だといった思いがボクの頭にもよぎったが、ヤギなど轢き殺してもかまわないといった勢いで車が群れを蹴散らし蹴散らし進んで行くなか、ボクは思わず後ろを振り向き、轢き殺されたヤギがいないか気にしていた。
 昼近くになりおなかがへりだした頃、街道の田舎道を走っていた車は一軒の食堂に立ち寄った。食堂といっても現地の人達の憩いの場といった感じのその店は、入り口と窓が開けっ放しで天井には羽根の長い扇風機がゆっくり回っているといった、インドではごくありふれた雰囲気だ。ブルが我々の注文を店員に伝えているあいだ、ボクはそこの店員が、いぶかし気に我々三人を見ているのに気づいた。店にはすでに先客が何組かあり食事をしていたが、そのうちの常連客らしき男たちも、我々のほうに目をやり何かコソコソ話していた。
 運ばれてきたカレーには、旅行者のためにきちんとスプーンとフォークがついていたが、まわりの現地人達は当然そんなものは使わず、右手だけを使ってうまく食事をしている。まわりの目は気になったが、ボクもさっそく右手を使ったカレーの食べ方を実演してみた。
 右手をカレーの中にグチュッと入れてご飯と共にこねくりまわす感覚が、何とも言えずイ〜感じだ。もう少しこの感触を楽しもうとカレーとご飯をこねては落としこねては落としと、気持ちはまるで子供のままごと気分でいたところ、ふとそこで、ボクを見ているいくつかの目があることに気づき思わずドキッ。(こいつはいつカレーを口に入れるんだろう)、好奇の目の中、つまんだものをヒョイと口に入れようとするが、はじめからたくさんつまみあげるものだから、口元にたどりつくまでに指の間からぼろぼろこぼれて顔色なし。
 こちらがこのカレーは辛いという顔をするたびに、後ろに立ってニヤニヤしながらボクを見ている店員はヨーグルトを入れてくれる。辛い顔をするとヨーグルト、また辛い顔をするとヨーグルトの繰り返し。で、けっこうこのヨーグルトがおいしくて、ヨーグルトをもらうためにわざと辛い顔をするのでありました。
 インドの人達はカレー、唐辛子、香辛料など辛いものを平気で口にする。インドのような暑い国では、新陳代謝をより活発にするこうした辛いものが重宝であり、空腹感を抑える効果もあるためごく自然に受け入れられていると聞く。これは後日の体験談だが、食事に混ざっていた青唐辛子の実を口にしたときの辛さは半端ではなかった。日本語には目から火花がでるとか舌が焼けるといった表現があるがまさにそれで、喉の渇いた犬が舌をだしているような状態で水を飲みにいったことを覚えている。
 そんなこんなで昼飯を終え店を出ようとしていたとき、レジで勘定を払っているブルに対して店員が一言二言何か言っていた。するとブルは急に不機嫌になり、店員とちょっと言い争ったあと一人で先に店を出た。(こうして途中立ち寄った店の勘定は、割り勘で払うことなくすべてブル達が率先して払っていた)。
 こっちは事のいきさつもわからないまま、休憩ついでにブルとヒゲの二人を並ばせカメラを向けたが、どうも二人とも写真を撮られたくない様子だ。まあそれは後になってわかったが、レンズを向けると照れるのか、あるいは二人とも究極の写真撮られ嫌いなのかと初めのうちは思っていた。おかしいのはカメラを向けるボクに、どうしても正面を向かずに二人とも顔をそむけてしまうことだった。何だこいつらと思いながら、それならそれでと一枚だけ撮ったものの、相も変わらぬ無愛想な表情で二人はカメラにおさまったのである。
 往復車の運転はほとんどヒゲがやり、ブルは気の向いたときたまにヒゲと交替で車を運転した。助手席のブルはヒゲと何やら話したり、目ぼしいところがあると振り返り、後部座席のボクに「あれが有名な××だ」と簡単にガイドするというパターン。ブルはまた、彼とつるんだ何軒かの土産物屋にボクを案内したが、別にほしいものもないのでさっさと店を出ようとすると彼は露骨に不機嫌になり、「こんなにいろんな店に連れて行ってやってるのに何も買わないのか」と文句を言い出す始末だ。大理石の置物を扱っている土産物屋では、何か買えと言っているブルに、「こんなものを持ってこれから先の旅ができるか」と逆にこっちが文句を言い、ブツブツ言ってるブルをあとにして車に急いだ。
 ビール片手にヒゲの運転

 デリーを出てから四〜五時間、タージマハルはインドが誇る一大観光スポットだけあり、四〇度以上の気温にもかかわらず、当然のごとく大勢の観光客で賑わっている。白亜の大理石の巨大モニュメントといった外見的な美しさはもちろんのこと、このモニュメントが、最愛の妻を亡くした夫(皇帝シャー・ジャハン)によって建てられた墓だという伝説的な愛情物語に、特に女性観光客は引き付けられるのではないだろうか、と、しみじみそんな思いにふけっていたくてもいられないのが現実で、広大な敷地の中を他の観光客達とゾロゾロと歩いていても、何かたえず自分が監視されているように感じられた。振り向くと、ブルはボクの四、五歩うしろをテクテク歩き、ヒゲはさらにそのうしろを回りの目を気にしながら距離をおいて歩いていた。
 何の因果か知らないが、まさかインド人二人を伴ってのタージマハル見物など当初は考えてもみなかった。これもハプニング付き一人旅のおもしろさ≠チてことだろうが、できればブルやヒゲみたいな無愛想な男達ではなく、サリーの似合う現地の女性とならばこうしたハプニングもさらに歓迎されたのに。そうしたらブルやヒゲなどといった安っぽい愛称ではなく、マハラニ(マハラジャの奥さん)やシュリー(インドで圧倒的な人気を集めているヴィシュヌ神の妃で、富と幸運の女神)といった、こっちのほうが気恥ずかしくなるくらいの愛称でも付けてやったのになあ、などと勝手なことを考えていると、隣のインド人観光客から、「靴を履いてるのはお前だけだ。早く脱げ」と言われてしまった。
 白亜の大理石での参拝は土足厳禁で、よく見ると皆裸足で歩いている。太陽がギラギラと照りつけているあんな熱そうな所を、裸足で歩いてやけどでもしないかと思いながら、ボクはそこに腰をおろし足の裏をさすっていた。ブル達はじめ現地の人間は平気で裸足で歩いていたが、皮の厚さが違うんだから仕方ない。こっちはなるべく足の裏をベタッと着けずに、つま先とかかとだけでもってピョコピョコと跳ね回っていた。
 日も西に傾きかけた頃、再びデリーまでの帰路につく。道中水分の補給だけは欠かすことはできず、何度か車を止めては小休止を繰り返した。車にただ乗っているだけでも暑さとほこりとでこぼこ道の旅はけっこうつらく、小休止で車を降りたときには、ホッとひと息背伸びをして息を吹き返すのでありました。
 立ち寄った店からブルがビールを買ってきて、ボクにも一本飲まないかと手渡した。帰路はすっかりヒゲに運転を任せ切っているブルは、助手席にふんぞりかえり右手に持ったビールをラッパ飲みしては饒舌になり、ヒゲとなんだかんだ討論調に話し合っている。
 そして後ろを振り向き、ボクに、「次の州は飲酒は禁止だからこの州にいるうちにビールを飲んでしまえ」と言ってくる。「ほう、さすが現地の人間はいろいろ知ってるわい」と感心しつつ、運転しているヒゲには悪いなと思いながら運転席をよくみると、ヒゲも脇に栓のあいたビールをしっかり置いているじゃない。もしかしてこれって、飲・酒・運・転!? まあブル達なら平気でやりそうなことだと思いながらも、もらったビールを急いで飲み干し、飲み終わったビンはブル達にならって窓から投げ捨てた。


 あ、ゴメンナサイ。立ち読み部分はここで終わりなんです。ここまで読んで下さって有りがとうございます。
 このあともっと面白くなりますから買っていただけるとすごく嬉しいです。 

















  おわりに


 インドの旅から戻った後、アルバムを開いてはため息をつくという抜け殻のような毎日がしばらく続きはしたが、日が経つにつれて、そんな逆カルチャーショックも徐々に和らいできつつあった五月の半ば、ウダイプルで知り合い現地で撮った写真を送ってあげた日本人の女の子から、お礼の手紙を受け取った。数ヶ月インドを旅すると言ってた彼女の手紙には、今はまだウダイプルに滞在中だが、そろそろ北の方へ向かおうかと思っているといった内容のことが書かれていた。ボクもぜひ一度訪れてみたいと思っていたリシケシュやスリナガルの方にもきっとこの後行くんだろうなあと、その手紙を読み終わった後で、せっかく治まりかけていた逆カルチャーショックがぶり返してきたような気分になってきた。      後略






















 著者プロフィール

雫 はじめ(しずく はじめ)

神奈川県横須賀市出身。
学生時代、ヒッチハイクや夜行バスなどで、アメリカ・カナダを約二ヶ月かけて回ったのをきっかけに、一人旅の醍醐味に目覚める。コナーズやマッケンローといったテニスプレイヤーが活躍していた当時、旅の暇つぶしに、二本1ドルで買ったテニスラケットを持ち歩き、同宿の外国人達とプレイをし、皆が皆コナーズやマッケンローではなかったことに、ホッとすると共にやや落胆もする。「ぶらりアメリカ一人旅」は、そんな当時の紀行文を書いたものであった。社会人となって以後、ここ数年はすっかりアジアの旅に魅了され、ここに住む人々はやはり我々の親兄弟、といった思いを強く感じているこの頃である。






















本の誕生秘話

 ●●●●●本の誕生秘話の中身●●●●●























関連書籍の紹介

 ●●●●●関連書籍の紹介の中身●●●●●























 読者感想文

 ●●●●●読者感想文の中身●●●●●