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何もかもびゅうびゅうと傍らを流れ消えていった。 私たちは時代の曠野を迷い歩いてきた。時代のあまりにも大きな嵐に出会って行き暮れている。しかし、今ならどこで最初に道を間違えたかがよくわかる。
20世紀のどん詰まりの今日は、「古い」出来事の積み重ねの上にあり、古きを訊ねる作業により初めてそれを実証し得るのだ。
【発刊早々「全国図書館協会優良図書指定」を受けました】

目次 あとがき

本文70% 感想BBS 著者profile 関連書籍
Copyright (C) 2007 明窓出版, All rights reserved













 
         伊藤光彦 著





 ジャーナリズム曠野紀行


  1980〜2000・どんな時代だったか




                                   明窓出版



















   推薦の言葉
●●●●●●●●●●

































  まえがき

●●●●●まえがきなし●●●●●

























       目 次


T 歴史の闇の中で
   \予感できなかった予感\

 1・戦争の罪責                      1990年 10
     \\日独の比較にならない比較  

 2・NATO四〇年目の亀裂                1988年  25
     \\西独に高まる非核願望 

 3・西ドイツ・危機の中から新たな活力           1982年 38

 4 「反ファシズムの息子」として             1981年 52
     \\東ドイツ作家同盟議長ヘルマン・カントに会う 

 5・社会主義社会における文学の可能性           1981年 60
     \\ヘルマン・カントとの対話 

U ドイツの激流
   \漂う眼の残像\

 1・激動する東ドイツの明日は               1989年 84
      \\政治に習熟した国民が選ぶ歴史の「行き先」  

 2・九〇年の東欧・激しく動く新政治勢力          1990年 89
      \\西側は沈静化待つ寛容さを  

 3・宴のあとの「ドイツ問題」               1990年 94
      \\「壁」を消滅させたドイツ人が辿る道とは 

 4・統一ドイツをめざすヨーロッパ難民           1991年 110
      \\「開かれた国」の苦衷と理性  

 5・「主張するドイツ」は脅威か              1992年 123
      \\ボン外交と世界政治  
 6・ドイツ社民党の改憲論議                1991年 139
      \\PKOで保守との同床異夢  

 7・揺らぐドイツの二大政党制               1993年 146
      \\社民党は「体制順応」化で危機深まる  

 8・ルビコンを渡ったドイツ                1999年 154
      \\第二次大戦後、初の参戦  

 9・ベルリン「一〇年目」の再訪              1999年 164
      \\ヨーロッパ首都をめざす  

 10・読めなかった「ベルリンの壁」崩壊           1996年 173
      \\「束縛を超えた言葉」について  




V ヨーロッパ不案内路
   \ロンドンから観察する\

 1・日本「産業空洞化」の裏側
      \\英国で何が起きているか           1987年 178

 2・ヨーロッパから見た日本
      \\両文明圏の相互理解のために         1987年 189

 3・ヨーロッパ人の安全保障観               1987年 199

 4・多様性社会としてのヨーロッパ
      \\異種要素は活力源である           1988年 209

 5・時間と距離を超える日欧関係
      \\アイルランド・ケーススタディ        1988年 219
 6・「超民族国家集団」としてのEC
      \\警戒を要するその匿名性           1988年 229

 7・神話から解き放されたサッチャー政治
      \\ある「英国行列考」             1989年 239

 8・伝統世界の中のラジカリズム
      \\ある「勤倹」なバクチ政治について      1989年 252

 9・市場″ナ大の実験が始まった
      \\1992年へのECの懐疑と疾走       1988年 266






W 政治文化論の試み
   \新たなイメージからの出発\

 1・新しい故郷の創造を                  1982年 274
      \\21世紀への提案       

 2・大上段でなく、意志をもって              1990年 292
      \\国際報道の新局面と可能性  

 3・ラジカルな議論を恐れない精神             1994年 302
      \\戦後ドイツにおける政治教育  

 4・政治改革ドイツの失敗                 1992年 314
      \\比例代表制こそ元凶である  

 5・自自公路線の時代座標は何か              1999年 333
      \\モンタージュ国家からの離陸のために  

 6・日本海が極東地中海となる日              2000年 347
      \\列島の北の海端から考える  


























 過去はけどられないように






 五年前の八月、在日ドイツ人ジャーナリストのゲープハルト・ヒールシャー氏は、ミュンヘンで発行される『ジュートドイチェ・ツァイトゥング』(南ドイツ新聞)に「敗戦を自己感傷で振り返る日本人」と題する一文を送った。一九八五年八月十九日付同紙の社説相当のコラムに掲載されている。その夏の全国戦没者追悼式を観察してのリポートである。
「……追悼されたのは自国の戦没者だけだった。わが身の傷を舐め、自己感傷のうちに、四〇年前の日々への思い出にひたった。他国民、つまりは日本軍の中国侵攻を端緒に広がった極東戦争の本来の犠牲者がこうむった苦悩、その死者については、語られることがなかった。この戦争に対する自らの責任と取り組む姿勢は、またもや影をひそめたままだった。こういう状況下では、裕仁天皇、中曽根首相その他当局者らによる平和の誓いがうつろに、真実味なく聞こえたのもいたし方なかった。……」
「自らが敗戦までの間に犯した過ちをできる限り黙殺しようとする日本人の従来のやり方は、通用しない。日本軍の侵略・占領行為を直接体験した世代の人々が死に絶えてしまえば、当時日本人にいためつけられた傷も忘れられるだろう\\そういう望みも詮ないことである。犠牲者の子孫が、下手人追及にあたって犠牲者本人よりかたくななことは、世の通例だ。(日本の態度は)子供がよその子をぶって自分もケガをし、後で自分の痛みだけを訴えるのに似ている。……日本の振舞いは未熟な子供のようなものである……」。
 ヒールシャー氏は全く別のところで「私はジャーナリストであって、学者ではない。私が書くのは、その時々のためで、後世に残すためではない」と述べている(著書『自信と過信\\日本人に言いたいこと』はしがき)。だから、五年も前の記事をこういう形で引用されるのは不本意かもしれない。だが、わが身の傷を舐め自己感傷にひたる、という日本人の態度が変わらないとすれば、同氏の批判は今日でも同じ意味を持つ。次の二つの「お言葉」は、多少精密な比較吟味を要する。

(一九八五・八・一五 昭和天皇)
「本日、『戦没者を追悼し平和を祈念する日』に際し、親しく全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において戦陣に散り、戦禍にたおれた数多くの人々やその遺族を思い、今もなお、胸がいたみます。
 歳月の流れははやく、終戦いらいすでに四十年、この間、国民の努力により国運の進展をみましたが、往時をしのび、誠に感慨深いものがあります。
 ここに全国民とともに心から追悼の意を表し、平和を祈念します。」

(一九八九・八・一五 現天皇)
「『戦没者を追悼し平和を祈念する日』に際し、ここに、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、尊い命を失った数多くの人々やその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。
 顧みれば終戦以来すでに四十四年、国民のたゆみない努力によって築きあげられた今日の平和と繁栄の中にあって、苦難にみちた往時をしのぶとき、感慨はまことにつきるところを知りません。
 ここに全国民とともに、我が国の一層の発展と世界の平和を祈り、戦陣に散り、戦禍にたおれた人々に対し、心からの追悼の意を表します。」

 追悼の対象になっているのは、前者では「さきの大戦において戦陣に散り、戦禍にたおれた数多くの人々」(A)である。これが後者では「さきの大戦において、尊い命を失った数多くの人々」(B)および「戦陣に散り、戦禍にたおれた人々」(C)となる。AとCは同一だから、現天皇の「お言葉」ではBの人々が新たな追悼の対象になっているとみてよかろう。A、Cは「戦陣に散り、戦禍にたおれた……」との一種軍国調の対句からして、その人々に中国人やフィリピン人の犠牲者が含まれるとは想像しにくい。これに対しBは、ごくさりげない調子ながら、戦没者について地域的または国籍別の限定を避けようとする意図がうかがわれる。
「極東戦争の本来の犠牲者」をも受け手に想定したメッセージだとすれば、その出力はいかになんでも微弱すぎるというべきだろう。しかしそこには、韓国大統領への「お言葉」として表れた昭和天皇の「遺憾」と現天皇の「痛惜の念」の差を平行移動したほどの、物事の変化をみてとることができる。
 肝腎なことは、日本政府、およびその助言と承認のもと国事行為をなす天皇が、戦争犠牲者追悼あるいは侵略行為謝罪の意志表現を、できる限り目立たない程度に留めようと努めてきたことである。時代の推移や周辺の圧力に合わせ、その表現を「前進」させることに決めたとき(例えば本年五月の盧泰愚韓国大統領訪日時)でも、表現の前進(変化)はなるべくけどられないのをよしとした。
 当方の意のある所が効果的に先方へ伝わる\\それが国家の振舞い方であり、少なくとも外交の要諦であると思うのだが、日本は「さきの大戦」の責任に関する限り、相手側に微衷が通じにくくすることに、多くの労をはらってきたようである。「痛惜」は言葉を惜しむ外交の、またとないシンボル言語である。



 あ、ゴメンナサイ。立ち読み部分はここで終わりなんです。ここまで読んで下さって有りがとうございます。
 このあともっと面白くなりますから買っていただけるとすごく嬉しいです。 

















  あとがき


 二〇世紀が暮れようとしている今(最後の年の秋も深まりつつある今)、私は日本に住む六三歳の一市民として、この世紀に戦争のため命を失った無数の人々の苦痛と無念を、かつてなかったほどしきりに思いみる。
 終わろうとするひとつの時代が私に回想を強いているかのようだが、思いが過去に向かいがちなのは、ありていに言えば、自身の年齢のせいであるのだろう。とりわけ感じるのは、過ぎ去った年月、あまりにもおびただしい大切な事どもを、通りすぎるにまかせて、うっちゃってきたことだ。









 初出一覧

I 歴史の闇の中で
 (1)戦争の罪責‥「世界」九〇年八月号
 (2)NATO四〇年目の亀裂‥「エコノミスト」八八年三月二九日号
 (3)西ドイツ・危機の中から新たな活力‥「エコノミスト」八二年一月一九日号
 (4)「反ファシズムの息子」として‥「毎日新聞」八一年六月八・九日
 (5)社会主義社会における文学の可能性‥「中央公論」一九八一年八月号
U ドイツの激流
 (1)激流する東ドイツの明日は‥「毎日新聞」八九年一一月一〇日
 (2)九〇年の東欧・激しく動く新政治勢力‥「毎日新聞」九〇年一月九日
 (3)宴のあとの「ドイツ問題」‥「Voice」九〇年一月号
 (4)統一ドイツをめざすヨーロッパ難民‥「外交フォーラム」九一年九月号
 (5)「主張するドイツ」は脅威か‥「Voice」九二年六月号
 (6)ドイツ社民党の改憲論議‥「世界」九一年八月号
 (7)揺らぐドイツの二大政党制‥「世界」九三年七月号
 (8)ルビコンを渡ったドイツ‥「エコノミスト」九九年六月二九日号
 (9)ベルリンの一〇年目再訪‥「月刊PLAYBOY」九九年一一月号
 (10)読めなかった「ベルリンの壁」崩壊‥「毎日新聞」九六年七月日
V ヨーロッパ不案内路
 (1)日本「産業空洞化」の裏側‥「エコノミスト」八七年四月七日号
 (2)ヨーロッパから見た日本‥「アジア時報」八七年一〇月号
 (3)ヨーロッパ人の安全保障観‥「アジア時報」八八年一月号
 (4)多様性社会としてのヨーロッパ‥「アジア時報」八八年四月号
 (5)時間と距離を超える日欧関係‥「アジア時報」八八年七月号
 (6)「超民族国家集団」としてのEC‥「アジア時報」八八年一一月号
 (7)神話から解き放されたサッチャー政治‥「アジア時報」八九年三月号
 (8)伝統世界の中のラジカリズム‥「国際交流」八九年五〇号
 (9)市場″ナ大の実験が始まった「エコノミスト」八八年六月一四日号
W 政治文化論の試み
 (1)新しい故郷の創造を‥「Voice」八二年一〇月号
 (2)大上段ではなく、意思をもって‥「新聞研究」九〇年八月号
 (3)ラジカルな議論を恐れない精神‥「世界」九四年一一月号
 (4)政治改革ドイツの失敗‥「Voice」九二年三月号
 (5)自自公路線の時代座標は何か‥「潮」九九年一一月号
 (6)日本海が極東地中海となる日‥「若狭文学」二〇〇〇年三八号






















 著者プロフィール

伊藤光彦 (いとう・てるひこ)

和光大学表現学部教授。1937年、長野県生まれ。京都大学文学部卒業。毎日新聞社外信部長、欧州総局長などを経て、1992年福井県立大学経済学部教授、2000年4月より現職。
著書に『ドイツとの対話』(第30回日本エッセイストクラブ賞受賞、毎日新聞社)
『現代ドイツを新聞で読む』(白水社)『田舎に暮らして世界を視る』(平凡社)など。






















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