立ち読みOKページ<
 ( 全内容の約20〜40%を表示しています。無断転載はお断りします。)

 「今度、ニューヨークへ行ってもらうから」この一言から『海外赴任』がはじまった。
住んでみなければ分からない、アメリカのあんなことやこんなこと。
異文化に触れて、時にはカルチャーショック、時には目から鱗といった毎日をコミカルに綴る。
国境を持たない島国で農耕民族(定住性)の歴史をもつ人間として育った私が、北アメリカという広大な土地を有し、国境を抱える狩猟民族(移住性)といった大きく歴史が異なる国に触れ、戸惑いやカルチャーショックでその時は気づかなかったことがある。時代がどんなに変わろうと国民性はいつの時代にも変わることなくそこにある。研修や出張、旅行そして赴任といった様々な形でアメリカに接してきた私には、今振り返ることで改めてその違いを感じる思いがする。

ホームへ 前書き 目次 本文70%

あとがき 感想BBS 著者profile














 
         田靡 和 著





 アイガッチャ
bb 振り返った、あめりか bb<




                                   明窓出版



















   推薦の言葉
●●●●●推薦の言葉の中身●●●●●

































  まえがき

 もう八年にもなる、アメリカから帰国して。
 古い話を今さらと私自身思わないでもないが、やはり異国の地で経験したことを何かの形で残したかったのかもしれない。そして、どうせ残すなら少しでも何かの役に立てればと思い立ち、本稿を進めることにした。
 勢い勇んで構想を練り、書き始めたものの、資料と共にあれやこれやと小生の武勇伝(?)が思い起こされてきた。また、当時は気づかなかったことに「へーえ、そうだったのか」と今改めて感心し、今だからこそ書けることにも気づくことになった。
 だが、それらを活字にすることがどれほどのエネルギーを必要とするかを、思い知らされることにもなってしまった。
 とは言え、先をお読みいただいて貴方なりに何かを感じていただければ、苦労の甲斐があったものと……。
 いやいや、そんなことよりまずは稿を進めることにしよう。

























       目 次




はじめに ……………… 6
プロローグ ……………… 7
Episode1 何もかもがLサイズ ……………… 8
Episode2 NY着任 ……………… 12
Episode3 自分のことは自分で ……………… 18
Episode4 話しかけないで ……………… 23
Episode5 不思議な支払い ……………… 37
Episode6 ドライバーズ・ライセンス ……………… 41
Episode7 駐車場(1) ……………… 45
      駐車場(2) ……………… 52
      駐車場(3) ……………… 53
Episode8 Ceremony(1) ……………… 56
Episode9 時差ぼけ一発解消法 ……………… 62
Episode10 自然の脅威 ……………… 71
Episode11 郷に入れば郷に従え ……………… 78
Episode12 魅惑のバニー・ガール ……………… 84
Episode13 去る者は追わず ……………… 88
Episode14 お客様はカミサマ ……………… 98
Episode15 Ceremony(2) ……………… 105
Episode16 列車は停まった ……………… 109
Episode17 NYは渋滞中 ……………… 116
      (附録) ……………… 124
Episode18 いらっしゃーいNY ……………… 127
Episode19 サンタ・バーバラ ……………… 135
Episode20 定期健康診断 ……………… 140
Episode21 出張 ……………… 143
Episode22 現実は映画よりスゴイ(事実は小説より奇なり的タイトル)
       Part1 ……………… 152
       Part2 ……………… 161
       Part3 ……………… 162
       Part4 ……………… 164
Episode23 暴動 ……………… 167
Episode24 インタビュー ……………… 175
Episode25 Ceremony(3) ……………… 178
Episode26 熱波 ……………… 186
Episode27 地ビール ……………… 190
Episode28 アーミッシュ ……………… 202
Episode29 The House on The Waterfall ……………… 212
Episode30 不幸中の幸い ……………… 217
Episode31 自ビール ……………… 228
Episode32 忘れた ……………… 233
Episode33 いよいよ帰国 ……………… 245
エピローグ ……………… 248




























   プロローグ

「今度、ニューヨークへ行ってもらうから」
 この一言から『海外赴任』がはじまった。
 だいたい、海外駐在は個人の希望により今まで決められてきた人事異動であった。だが、私は、一度も希望を出したことはない。しかし、上司からの電話は確かにそう聞こえた。私が地方の営業所に単身赴任で飛ばされたのも、前部長との個人的な感情の行き違いからだった。
 そして、今度の部長もまた一方的にアメリカ駐在を決めてしまった。
「何故なんだ。私にはそのつもりも、予定もない」
 だが、事は私の知らぬところで万事進んでいて、本社決済まで下りていた。
 これが一因となってそれからの半年間で私は家族と総ての財産を失い、会社から一五〇万円の借金をして、裸一貫で太平洋を渡ることになってしまった。

 さて、これまでに旅行記や「地球の歩き方」などといった本や文献が数多く出版され、情報が氾濫しているために、知識や見聞は皆さんの方が私より遥かに多いのかもしれない。
 しかし、これまでに中途半端な期間、社内研修にはじまり、出張、視察、赴任そして旅行と様々な形でアメリカを訪れた私。この異文化に触れて、時にはカルチャーショック、時には目から鱗といった生活からのノン・フィクション(つまり、実録もの)として、素直に先を読んで戴ければ、これから旅行や留学などの目的で渡米をお考えの貴方には、ほんの少しではあるがお役に立てるかもしれない。
 私が生まれて初めて行った外国、アメリカ合衆国。初めてのアメリカは海外赴任に先立つ、十年前。今より数段に感性が豊かな二八歳の時であった。

   Episode1 何もかもがLサイズ

『日本生産性本部』が主催する『米国西海岸視察』に会社の代表として選出され、参加した、研修のための渡米。研修といっても小売業の視察を中心とするもので、これが生まれて初めての海外旅行でもあった。その時のアメリカの空気は、今でも身体のどこかに鮮明に留まっている。それは、ロス・アンジェルス国際空港に降り立った時のことであった。
 今、思い返すとやはり興奮していたのだろうか。添乗員が荷物を集める間、早く外の空気に触れてみたくなり、一人、到着ロビーから表へ出てみることにした。パチッと乾いた空気を胸いっぱいに吸って、眩しい太陽を見上げるとそれはやはり日本で見る太陽とは全然違うものに見えた。
 九〇人分の荷物が揃うまでの間、ロビーを見回していると肌や髪の毛の色が違う、ヒト、ひと、人。横も縦も大柄な人たちが目の前を行き来するのを見ているうちに、外国へ来たのだと段々、実感が湧いてきたものである。
『ロス・アンジェルス』(Los Angeles)という街は、一七八一年にスペイン人のネベ総督がメキシコから開拓民を率いて、現在のダウンタウンにあたる『オルベラ街』を中心に小さな村を建設したのが起こりと言われている。ニューヨーク(以降、NY)とは、対照的に徹底した自動車社会として発達してきた土地でもある。因みに『パサディナ・フリーウェイ』が最初の高速道路として、一九四〇年代にはすでに完成していた街でもある。
 全員の荷物がバスに積み込まれると私たち一行は、その足でショッピング・センターの視察に出かけることになった。着いたショッピング・センターには、建物の数倍の駐車場と、その横には飛行場まであることに驚いてしまった。セスナ機で来る買物客がいるということを添乗員に教えられ、日本とはスケールの大きさが比べ物にならないことに目を丸くしたものである。
 バスを降りる時、添乗員が大きな建物を二つ指差して目印として覚えておくようにしつこく注意していた。広大なショッピング・モールなので、目印を間違えるとバスには二度と戻ってこれないらしい。
 私たちはさっそく視察に出かけることにした。
 とは言うものの、乾いた空気に喉はカラカラ。他の連中も思いは同じであった。
「生水は絶対に飲まないように」
 そう添乗員に教えられていた私たちはとりあえず、ジュースの飲めるところを探すことから視察(?)をはじめることにした。
 だだっ広いショッピング・センターの中で、やっとジュース・バーらしきカウンターに辿り着くと、片言の英語どころかほとんど日本語でジュースを注文する(メニューを指差して、一言「プリーズ」とだけ)。日本に比べると値段が格段に安い。喉の渇きを満足させるにはSサイズぐらいでは足りないと思った私たちは、Lサイズを注文することにした。
 ところがである。目の前に出されたLサイズなるものは日本のそれとは大違い、まるで小型のバケツのようなものが出てきてしまった。私たちはお互いに顔を見合わせながらも、驚きは一瞬のこと、体は渇きを潤すことの方が先のようだった。そのファースト・フード店は日本でもお馴染みのはずだが、空気が違うせいか同じ味とは思えないほど私たちの喉を唸らせたものである。
 しかし、飲んでも飲んでも一向に減らないLサイズには途中でギブ・アップし、半分以上は棄ててしまった。喉の渇きも落ち着いたところで、改めて視察をはじめることにした。現在では日本にも数多くのショッピング・モールができ、そう珍しくもなくなっているが、当時ではアメリカにも『シネマ・コンプレックス』すらない時代であった。
 百貨店を核店舗とし広大な敷地に数店を配し、専門店を集めた形のショッピング・センターに圧倒される思いだった。それも低層の建物で構成された広い敷地である。パブリック・スペースには、至る所に噴水やベンチがある。そして、フード・コートなるものにまたまた目を丸くしてしまった。最初の研修地にも拘わらず、もうおのぼりさん状態。カメラを向けては、警備員に撮影禁止の注意を受けまくってしまった。
 建物の半分も廻らないうちに集合時間が迫ってきた。仕方なく踵を返し、目印の建物を探しながら戻りかけた時である。先ほど喉を潤してくれた、冷えたLサイズが突然おなかの中で、まるでウルトラマンの赤い点滅信号のように鳴り出した。私は同僚に先に行ってもらって近くの『シアーズ百貨店』に戻ることにした。
 脂汗を流しながら、片言の英語でトイレの場所を聞く。聞かれた店員は、きっと私が何を言ったか良く分らなかったと思うが、悲壮な表情から察したのか、階段を降りた所にあることを教えてくれた。助かった、いや、間に合ったと思い彼が指差す方に急ぎ足で向かう。アメリカでは、デパートといえども客用トイレなどなく、その数も少ない。胸(腹)の点滅信号は速度を増してくる。今思うと、私はその時きっと背筋を伸ばして、きちん(?)とした姿勢で歩いていなかったと思う(切羽詰った経験のある方は容易にご想像できる筈である)。
 やっとの思いでそれらしき場所に辿り着いた。が、中を見て愕然としてしまった。どのブースにも扉らしきものがないではないか。奥まで覗いて見たが結果は同じであった。私は更に身の引き締まる(?)思いであったが、「背に腹は帰られない」と、思い切って一番奥のブースに入ることにした。危機一髪とは正にこういうことを言うのだろう。しかし、初体験の緊張感は、遥かに腹痛をも凌いでいたように思う。防犯上パブリックのトイレに扉を付けないことは、今では当り前に知っていることである。
 もちろん、私のせいでバスが出発の時間を大幅に遅れたことは言うまでもない。

   Episode2 NY着任
 今回私は、身体ひとつでニューヨークに降り立つことになった。ニューヨークを訪れるのは、三回目である。過去二回については、後ほどのエピソードで語ることにして、三回目ともなればすでに気分はニューヨーカー。『NYかぶれ』になることにしよう。
 ところが、そんな気楽なことも言ってはいられなかった。『海外赴任』という形で、生活をしなければならない私にとって、すべてが『はじめてNY』の始まりである。
 十一月の半ばとは思えないような暖かい日差し(実は、インディアン・サマーだったのである)の中、飛行機はJFK国際空港のメイン滑走路に着地した。NYの第三の空港(第一はクィーンズ区のラ・ガーディア空港、第二はニュージャージー州のニュー・アーク空港)として、一九四八年に開港。面積は、一九九五ヘクタールもあり、五本の滑走路と九棟から成る旅客ターミナルを有する空港である。マンハッタンからは南東へ二一qのところに位置し、成田空港などとは比べ物にならないものがある。
 私は、飛行機を降り立つと入国審査の列に並んだ。朝が早いせいか、それとも到着の時間帯に余裕があったのか、通関にはそれほど長い列はない。違法な物を持ち込むわけでもないのだが、やはり少しの緊張を覚える。過去の訪米の時と同じようにすんなりとスタンプを押してくれると思ったが、今日の係官はパスポートをじっくりと見ている。
 英語がろくに喋れない、と言うより希望もしない海外赴任にまったく勉強する時間もなく渡米した私に対し、入国審査官は根掘り葉掘り質問をしだした。が、まるでチンプンカンプン。審査窓口でガラス板を挟んで暫しの睨めっこ、額に汗をかきながらも時差ボケの頭で懸命に単語の羅列で答える私。海外研修で来た時の通関とはちょっと違う。
「窓口があまり混んでないから、こいつは暇つぶしに時間をかけているな」
などと心中で陰口をたたく私。
 後で考えれば何てことはない。過去二回は、米国で収入を得ることもない、ただの『観光ビザ』(観光ビザB2は、一九八八年十二月に廃止され、短期の観光の場合、現在ではビザなしで入国できる)で入国したが、今回は『E1ビザ』で審査を受けたためであった(E1 VISA=通商条約に基づき、貿易に関与している企業の駐在員とその家族に与えられるもので有効期間は五年。ただし、入国時には一年間分しか下りないため、その都度外国に出て延長手続きをして更新する。しかし、一九九六年九月三十日に当時のクリントン大統領が署名した、不法移民改正法案から、現在では本国での更新が義務付けられるようになった)。
 やっとの思いで入国を許可されると、勝手知ったる(?)マンハッタンへ一路。前回の研修旅行から一年が経っていた。
 私が事務所へ顔を出し、一通りの挨拶を済ませるとちょうど昼休みである。時差ボケと機内食であまり食欲がないにも拘らず、みんなと一緒に昼食を付き合うことにした。
 マンハッタンには、当時日本食レストランが一ブロックに一軒あると言われていた。事務所の連中は当然のように日本食へ向かう。こういう時の日本食は実に便利なものである。ざる蕎麦などは、あまり食欲がない時にちょうど良い。
 昼食が終わると、これから住むアパートを見つけるまでの間、投宿することになるホテルへチェックインに行く。
 NYで収入を得て生活をする場合、最初にする手続きは『社会保障番号』(Social Security)の登録である。荷物を置くとさっそく、登録に向かう。そのオフィスには、色んな国の人たちが来ていて、聞いたこともない言葉を耳にすることになる。待つこと二十分で手続きを済ませると、親切そうな黒人のおばさん係官から青地のカードサイズの紙切れを渡される。この一枚のカードがそれほどまでに大切だということは、この時点ではあまり実感がなかった。
 次に、パーク街にある日本総領事館を訪れ、在留届を行う。厚さ二〇oほどの透明の防弾板で仕切られたカウンターで、小さな穴を通して書類のやり取りが行われる。まるでパチンコの景品交換所のようだ(おっと、これは日本政府に対して失礼か)。外務省からの出向職員か、現地採用のローカル職員かは知るところではないが、日本人同士というのに非常に事務的で冷淡な対応に失望を禁じえない。日本語で手続きができるというのに、何とも心細い思いをする。
 夕方、ホテルへ戻りトランクから最小限の荷物を解く。単なる旅行ならまだまだ夜のマンハッタンへ繰り出すところだが、今日からここNYで生活をするとなると、その基盤を速く作らなければならない。簡単な歓迎の食事会の後、二次会は遠慮してきた。
「これから先は、長いのだ」
と自分に言い聞かせ、帰り途に買ってきたバド・ワイザーを開けて一息つく。部屋をよくよく見回すと壁のペンキは剥げ落ち、部屋の隅をゴキブリが這っているではないか。こちらのゴキブリは日本のように大きくはないがゴキブリはゴキブリである。この部屋は日本のビジネスホテルのようにベッドだけで一杯になる狭さと比べて天井も高く、浴室もユニットではなくタイル貼りである。が、反ってそれらが寒々しく思えてくる。
「確かに一泊$65.00 の安ホテルでは仕方ないか」
 半年前の上司の一言にはじまり、その後父の交通事故、弁護士を雇っての協議離婚に財産の整理、そして業務引継ぎに渡米準備と限られた時間の中で、やっと荷物を出し終わって売り払ったマンションの鍵を封筒に入れて投函し、成田に向かった。
 身体ひとつで日本を離れて二六時間後のことである。

   Episode3 自分のことは自分で

 ホテルでのゴキブリとの共同生活を一日でも早く脱出するために、私は着任翌日から仕事の合間を縫ってアパート探しをはじめることにした。
 一般的に会社の辞令により転勤を命じられ、見知らぬ土地へ赴任した場合などは、会社側で社宅やアパートなど候補を見つけておいてくれるなり、不動産屋を紹介してくれるのが日本企業だと思っていた。
 そこで上司に聞いてみた。
「ところでアパートの方は、幾つか候補が見つかりましたか?」
 尋ねる私に黙って渡されたのが、『イエローページ』と呼ばれる電話帳であった。自分の住むところは自分で探せということらしい。
「何とも冷たいことか」
 右も左も分らないニューヨーカー(?)の私は、途方にくれる思いであった。しかし、感傷に浸ってはいられない。あのゴキブリと決別するためにも意を決して行動を起こさなければならないのだ。
br> あ、ゴメンナサイ。立ち読み部分はここで終わりなんです。ここまで読んで下さって有りがとうございます。
 このあともっと面白くなりますから買っていただけるとすごく嬉しいです。 




















 エピローグ

  アメリカ合衆国という国は、発見者コロンブスが西インド諸島と間違えて以来、先住民族のネイティブ・アメリカンをインディアンと呼ぶようにしてしまった。永い歴史をもつ、ヨーロッパ列強諸国の圧政に耐えかねた人たちによる移民で開拓が始まり、戦争での植民地化は何度も国王が変わる歴史を刻んだ。単一民族という歴史を選択肢の中に持つことなく、今もってアメリカは移民を受け入れ続けている。その歴史の中から自然と生まれた自由と平等の精神に、アメリカの民主主義は、広大な土地と豊富な資源により、明るくおおらかな国民性を育むことになった。
 歴史が浅いだけに文化や環境を大切にし、移民国家だけに人と人とのコミュニケーションを大切にする。それだけに民主主義を重んじる姿に習うべきところは、まだまだあるような気がする。
 一方、国を司る者が建前だけの正義を訴えながら、本音では利権に走り、自分さえ良ければ、という国家ではいずれ成り立たなくなってしまうだろう。
 国境を持たない島国で農耕民族(定住性)の歴史をもつ人間として育った私が、北アメリカという広大な土地を有し、国境を抱える狩猟民族(移住性)といった大きく歴史が異なる国に触れ、戸惑いやカルチャーショックでその時は気づかなかったことがある。時代がどんなに変わろうと国民性はいつの時代にも変わることなくそこにある。
 研修や出張、旅行そして赴任といった様々な形でアメリカに接してきた私には、今振り返ることで改めてその違いを感じる思いがする。
























 著者プロフィール

●●●●●著者プロフィールの中身●●●●●





















本の誕生秘話

 ●●●●●本の誕生秘話の中身●●●●●























関連書籍の紹介

 ●●●●●関連書籍の紹介の中身●●●●●























 読者感想文

 ●●●●●読者感想文の中身●●●●●