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「江川太鼓」響きにひびくーっ!!
 島根県のど田舎 川本町の郷土芸能“江川(ごうのかわ)太鼓”を愛する若者たちが、太鼓をかついでヨーロッパへ飛び出した。
3年連続ドイツ各地でコンサート。その珍道中全記録。
──見も知らぬ数行の電子メールを一読、わたし達はヨーロッパ演奏旅行に旅立った。──
                 目 次
  さあ、旅のはじまり、はじまり!   『これでもか 和知連』
  ひまわりのドイツもこいつもばなし  『資金繰りは大変』
 『招待状が来た!』          『合同練習だー』
 『フランクフルトの怪しい人』     『ドナウエッシンゲン』
 『バット・クロチンゲン』       『トイレのおじさん』
 『在スイス日本国大使館』       『ローカルこそグローバル』

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        岩野 賢/恵子・アルガイヤー 著





 これでもか 国際交流!!





                                   明窓出版



















   推薦の言葉
●●●●●推薦の言葉の中身●●●●●

































  はじめに


 私の住んでいる島根県川本町は人口四千人足らずの小さな山間地の町です。四方を山に囲まれ、緑にあふれ、町の中央を日本で八番目に大きな川、江川(ごうがわ)別名、中国太郎が悠々と流れている町です。しかし、その太郎君も時としてやんちゃ坊主に変身します。
 昭和四十七年七月十一日。
「もう避難したほうがいい」
「水位が夜中に上がるかも知れない」
 自衛隊員のアドバイスで私たち家族は自宅の二階へ迎えに来てくれた自衛隊員のボートで水没しかけている家から脱出しました。二階まであと三十センチの所まで水が来ていました。
 この日、折りから降り続いている雨で町の中心を流れる江川は一夜にして川本町を飲み込んでしまいました。数日たち、水位が下がるとそこには瓦礫と化した町並が現れ、町民はなにから手を付けていいのか判らず、ただ呆然と変わり果てた我が家を見つめるだけでした。
 そんな中、打ちひしがれている町民をなんとか元気づけようと町の商工会青年部が中心となり作り上げたのが「江川太鼓(ごうがわだいこ)」でした。中略

 その和知連通信の一月号にインターネットの掲示板に載った情報として、「どなたかドイツで太鼓を叩いていただけませんか? 行けるグループは助けてあげてください」とありました。私は、外国で太鼓を叩いてみたくて、すぐにこの情報に飛びつきました。
 江川太鼓でドイツに行って太鼓を叩いてみたい衝動にかられて国際電話をかけていました。ちなみにこのときの和知連通信の発行責任者は京都で活躍していた和太鼓グループ、「和っ鼓」のメンバー、小泉 直美さんで、後々、江川太鼓と一緒にドイツ公演に行ったグループです。小泉さんはその通信の中で「……三つの独日協会がお膳立てしてくれているのに、今になってキャンセルなんていけませんよね。大変お困りのようなので、行ける方がおられたら連絡してあげてください」と書いていました。そういう彼女と彼女のグループが「行ける方」になろうとは思ってもみなかったでしょう。
























       目 次


  さあ、旅のはじまり、はじまり! ………………………………8
 『これでもか 和知連』………………………………9
  ひまわりのドイツもこいつもばなし その1 ………………………………13
 『皆、どうする?』………………………………18
  ひまわりのドイツもこいつもばなし その2 ………………………………19
 『資金繰りは大変』………………………………24
 『招待状が来た!』………………………………25
 『合同練習だー』………………………………27
 『太鼓の旅立ち』………………………………30
 『さあ、出発だー』………………………………31
 『フランクフルトの怪しい人』平成十年七月十六日 ………………………………37
 『ドナウエッシンゲン』平成十年七月十七日 ………………………………38
  ひまわりの感動話パート1 ………………………………54
 『カールスルーエ』平成十年七月十八日 ………………………………57
  ひまわりのドイツもこいつもばなし その3 ………………………………65
 『バット・クロチンゲン』平成十年七月十九日 ………………………………72
  ひまわりのドイツもこいつもばなし その4 ………………………………81
 『サベルヌ』平成十年七月二十日 ………………………………83
 『シュトウットガルト』平成十年七月二十一日 ………………………………86
  ひまわりのドイツもこいつもばなし その5 ………………………………89
 『トイレのおじさん』………………………………94
 『フッセン』平成十年七月二十二日 ………………………………95
 『チュース』………………………………97
 『二年目のドイツ公演』………………………………98
 『父』………………………………102
  ひまわりの感動話パート2 ………………………………106
 『やってきました合同練習』平成十一年四月十日 | 十一日 ………………………………108
 『在スイス日本国大使館』………………………………110
 『シュトゥトガルト』平成十一年四月二十九日 ………………………………114
 『マンハイム』平成十一年一日 ………………………………117
 『サウルガウ』平成十一年五月二日 ………………………………122
 『マイナウ島観光』平成十一年五月三日 ………………………………127
 『スイス入国』平成十一年五月三日 ………………………………130
 『ベルン』平成十一年五月四日 ………………………………134
 『インターラーケン』平成十一年五月四日 ………………………………135
 『ツゥーン』平成十一年五月五日 ………………………………141
 『ルュツルン』平成十一年五月六日 ………………………………143
 『ミレニアム・ドイツ』………………………………147
 『恵子さんがまたまたやってきた。』平成十二年一月十四日 ………………………………147
  ひまわりのドイツもこいつもばなし 川本はイタリアの田舎!? ………………………………148
 『合同練習とCD録音』平成十二年五月三日|五日 ………………………………156
 『いざ、三度目のドイツへ』平成十二年六月三十日 ………………………………157
 『ウルム』平成十二年七月一日 ………………………………166
 『ボンドルフ』平成十二年七月二日 ………………………………176
 『サンクト・ガレン』平成十二年七月三日 ………………………………179
 『インスブルック』平成十二年七月三日 ………………………………180
 『ラーベンスブルグ』平成十二年七月四日 ………………………………182
 『ハイデルベルグ』平成十二年七月五日 ………………………………185
 『いざ、ローマへ』平成十二年七月六日 ………………………………199
 『和っ鼓ドイツ公演』和っ鼓代表 小泉 直美 ………………………………207
 『ローカルこそグローバル』江川太鼓代表 樋口 忠三 ………………………………216
 『旅のおわりに』 ………………………………224
  付録 ………………………………226


























 さあ、旅のはじまり、はじまり!






江川太鼓≠ヘ結成以来、町民の皆様や各方面の方々に支えられ、年間二十数回から三十回くらいの出演依頼をこなしてきました。その中でも、三年連続のドイツ文化国際交流公演は忘れられない公演になりました。
 人は、ほんの数行の電子メール・メッセージで、三年連続ドイツへ、太鼓をかついでボランティアの公演に行くなんて事ができるものでしょうか?
 この本の中にその答があります。そしてそれは太鼓を叩くことのみならず、それを取りまくすべてのもの、あるいは太鼓とは無縁の事柄にも相通じるものがあると思います。
 それでは、しばし江川太鼓和っ鼓≠フメンバーとともに、ドイツへの旅へと出かけましょう!


『これでもか 和知連』

 平成十年の一月のある日、毎月送られてくる一通の手紙が届きました。私はこの手紙をとても楽しみにしている一人で、その手紙とは、平成五年に私が参加した太鼓教室のグループ内通信です。
 その太鼓教室に参加したメンバーは三十五人、いずれも太鼓の大好きな人たちでした。講師は鼓童≠ノ所属する藤本吉利さん。日本を代表する大太鼓打ちの名手です。教室には、たくさんの応募があり、抽選となりましたが、私はなんとか当選し、参加することが出来ました。
 教室は、彼の故郷、京都の和知町という小さな町で行なわれ、当選した人たちが皆ここに集まりました。七月の末から八月にかけて、一週間、私たちは来る日も来る日も太鼓と向き合い、いただいた課題曲を覚えるために汗をかき、助け合い、普通の生活では味わえない違った充実感を共有しました。ここで過ごした一週間は、私にとって忘れることの出来ない思い出となり、太鼓に対する想いが、素晴らしいことに変化した出来事でした。
 参加した皆も、修了証書を貰うときは、涙で別れを惜しみ、「これから一つのグループとして活動しよう」と約束をしたのでした。『これでもか 和知連』の誕生です
 それ以来、月に一回の割合で通信が送られてくるようになり、私に色々な事を教えてくれる大事な手紙となりました。
 今月は、我らが江川太鼓の樋口さんの、太鼓に対する思いが私を通して和知連通信の記事として載ることとなり、特に楽しみに待っていました。そして、通信を読んでいて、最後の記事に目が釘付けになりました。
「誰か太鼓演奏のグループで、ドイツ公演をしてくれませんか?」
それはインターネットのニュースを見たメンバーからの情報でした。発信元は、ドイツの日本国名誉総領事館の秘書の方で、計画した日本祭りのイベントが、予定していたグループのキャンセルによって、実現出来なくなりそうなので、どなたか助けてくれませんか、というものでした。
 この年、私の所属する江川太鼓は二十五周年を迎えており、私としては何か記念になる事業を丁度考えているところでした。これは外国で江川太鼓を叩くいいチャンスだと思い、また以前から太鼓で文化国際交流ができたらいいなあと言う思いもあり、とりあえずどうにかしてドイツに連絡してみようと思いました。
 江川太鼓は平成元年にイギリス・フランスの日本文化フェスティバルに参加し、イギリスのサリー州の中学校、オールハローズスクールで演奏し、それ以来、私の母校でもある川本町立川本中学校との姉妹縁組みの橋渡しの経験がありましたが、すべての手配を自分たちでする草の根的交流は初めてでした。




「在シュトゥトガルト日本国名誉総領事館」

 次の日、夜。国際電話にチャレンジしました。もちろん、ドイツ語は話せません。グーテンターク、ハローしかできません。いきなりドイツ語でまくしたてられたらどうしょう、恐る恐るインターネットメールに書いてある電話番号を回しました。
 呼び出し音はやたらと長く、何か妙な感じです。
「ハロー」
「ハロー、◎×●○□■×」
まずい、やっぱりだ。まったく分からん、こうなったら、イチカバチカ、向こうが、ドイツ語なら、こっちは日本語だー。
「あのー、ゼーワルド・恵子さん、いらっしゃいますか?」
「あっ、ハイ私ですが」
 あー、よかった、日本語だー。
 それから、自己紹介をし、向こうの事情を説明してもらいました。まだ、出演グループが決まっていないことが分かり、江川太鼓の中で話し合いをしてみることを約束しました。また、電話ではお金がかかるので、インターネットメールを使う事にして電話を切りました。
 今思えば、これがすべての始まりでした。これを機に三年続けてヨーロッパを訪問することになる始まりです。
 在シュトゥトガルト日本国名誉総領事館はとても立派な建物の中にあります。名誉総領事のシュミット氏は、南西州立銀行の取締役頭取であります。
 通常、外国駐在の日本大使、総領事、領事は、日本国籍の日本人でなければなりません。ライン河をはさんでフランス・スイスと隣り合うドイツ西南部、バーデン・ヴュルテンベルク州にある領事館は例外で、ドイツ唯一の名誉領事館で、ドイツ人のシュミット・ヴェルナー氏が日本領事を務めておられます。地元の人望を集めておられる方で、日本のこともよく理解されていらっしゃる方です。
 世界的にもドイツは珍しく、地理や歴史の関係上、多くの日本在外公館が駐在しており、ベルリンに移動したばかりの大使館の他、ハンブルグ、デュッセルドルフ、フランクフルト、ミュンヘンに総領事館があります。
 それら在外公館の仕事の内容というのは、簡単に説明すると、日本国の代表窓口機関として国と国の関係を保ち、政治、経済、文化の交流などに努め、邦人の保護、援助、援護を行なうことにあるそうです。スイスの日本大使館に二年目におじゃましたとき、そう説明を受けました。
 名誉総領事館は、外務省直の機関ではありませんが、ミュンヘン総領事館の下、在外公館に準じた活動と業務をほぼなっており、ゼーワルド恵子さんはシュトゥトガルトで名誉総領事館の秘書をされています。とても明るい方で、回りを元気にしてくれるひまわりのような女性です。彼女も自分のメール(インターネット)の名前をゼーワルド・ヒマワリ・恵子にしているくらいで(恵子さんの芸名!?)なんでもトライしてみようという感じの方で、そんな精神の持ち主だからこそインターネットニュースにも「太鼓グループ来てくださいませんか」という記事を載せたんだと思います。
 そんなわけで、私のこの本の中にも色々コメントを載せていただきました。皆さんにも彼女の人となりがご理解頂けると思います。では早速登場していただきましょう。


《ひまわりのドイツもこいつもばなし その1》

「突然、ドイツよりお便り申し上げます」
『私は、日本国名誉総領事の者です。実は、皆さんに御相談があり、ニュースに載せています。
 ある日本の太鼓グループが国際交流に協力して下さるとのことで昨年度からこちらでの太鼓公演の話を進めて参りました。ところが最近になって、メンバーが揃わないとのことで断わりの電話があり、こちらの方では、三つの独日協会がすでにお膳立てをして下さっており、とても困った状態にあります。
 それで、大至急、太鼓グループでドイツに来て下さるところを捜しています。もし、このお話に御興味があれば、折り返しご連絡下さい。
送信日時 一九九八年一月二十六日十四時二十四分四十一秒』
 これが私の打った生まれて初めてのインターネットニュースネットでした。
事の始まりは、一月八日、日本からの一本の国際電話からでした。
「xx太鼓のzzです。いやー、実は、やっぱり、メンバーが揃わないようなので、来年にしたいと思います」
「でも、国際交流基金への申請に使う招待状は、去年、大至急お送りしましたよね。それは、どうなさったのですか?」
「あれは、そのまま手元にあります」
「えっ、じゃあ、申請しなかったのですね」
 これ以上、この相手と話をする気がなくなり「分かりました。もう結構です」と私は、電話を切りました。
 この半年の苦労が、こんな電話で断られる事が信じられませんでした。国際交流の企画でなくても、一つの企画を計画し実行へ移せるまでの苦労は、関係者のみの知るところです。
 九十九パーセントの準備をして、最後の一パーセントが実行の場となるのです。この電話の後、私は、暫く事務所の中で放心状態にあったと思います。
「どうしょう」
「皆に何と説明したらいいのだろう」
 名誉総領事館といえどもシュミット名誉総領事の他、スタッフは私一人で、相談する相手もいません。
 名誉総領事からは、領事館業務すべてを任され、ここでは、まるで私一人が日本を担いでいるようなものなのです。
 よくとれば、責任を任されていることだし、悪くとれば、責任が重すぎる。ドイツ語でM嚇chen f殲 Alles という諺がありますが、直訳すると「すべての役をする女の子」で、悪く言えば「便利屋」。それが、私にピッタリといったところ。
 いずれにせよ、困った時に一人ぼっちで悩まなければならない事は、仕事とはいえ大変なことです。
 国際交流基金に申請願いを出すまでに、まず、受け入れ側を決め、協力者を求め、会場を捜し、日程を調整する。さらには、宿泊先を決め、費用調達や、移動方法、楽器の輸送方法にメンバーの食事、飲物の手配に至るまでを考えなければいけない。その上、協力者の方々との話し合いやら現場調査に足を運んで、大勢の人たちの協力があってこそ、一つの計画を実行にと移していけるものなのです。
 すでに三つの独日協会が日本からの太鼓グループを迎えるにあたって、着々と準備を進めていました。大袈裟に聞こえるかもしれませんが、これは単に私の問題ではなく、日本の信用に関わってくる問題です。協力してくれるドイツ人の人たちは、皆、親日家で、だからこそ、独日協会に入って、日頃から日本のためにボランティア活動を惜しみなくしてくれているのです。
 独日協会はこのバーデンヴュルテンベルク州にも九つがあり、全ドイツには、五十を超える組織があります。
 私たちのしようとしていることは、商業ベースの企画とは大きく違いますが、計画を進めるにあたっての段取りは、ほぼ同じに違いありません。しかし、決定的に基本的な所で違います。それは、関係者のほとんどがボランティアであること。彼らを動かすのはお金ではなく彼らの《好意》のみが彼らを動かすのです。惜しみなく日本のために協力してくれる彼らに、どうして、このあっけない国際電話の内容を伝えられるでしょう。
「メンバーが揃わないの一言で片づけられるものではないでしょう。どんな神経して今更そんな事、言える訳? 人の苦労って分かってんの? あんたなんて国際交流に関わる資格ないわよ」国際電話で伝えられなかった相手への怒りの言葉が自分の頭の中で出口を見つけられずにぐるぐると回っていました。
 二日も眠れぬ日が続きました。おそらく、怒りのため、血圧も上がっていたに違いありません。こんな時ばかり、クリスチャンになりすまし、仕事の内容といえどもキリストのすねにかじりつく。
「お願いです。神様、これを乗り越える方法はないものでしょうか。それともこのまま日本太鼓の企画が駄目になった方がいいのでしょうか」と、まじめにお祈りして、神様に答えを出してもらうことにしました。
 二日後、コンピューターの前に座りました。丁度、日本のインターネットに接続できる日本語のコンピューターを名誉総領事にお願いして一週間前に購入してもらっていたのです。説明書を取りだし、
「これが、あの話に聞いていたインターネットね」ふむふむ、すらすらと読みました。
「ニュースね。そうだ! これに書いてみよう!」しかし、ジャンルの区別がよく分かりません。
「日本太鼓イコール、ミュージックかな」ミュージックの欄を開けてみました。
《チューナー売ります。買います。》《だれだれのコンサートの券売ります。買います。》
「ちょっと違うんだよね。私の言いたいことは……。まあ、いいか。誰か該当する人が読むかも知れないし、取り敢えず書いてみるか……」。そんな希望を持ってクリックしたのを憶えています。
 それにしても神様からのアイディア「インターネットで道を開け」は、電子メール通信と同じ位に早かったのでした。
「よーし、これは、頑張れということだな」過去の悩み苦しんだ二日間とはうって変わって、また、元気が湧き、何となくうまく行くような予感がしたのでした。
 それから二週間程たったでしょうか。二月の初めまで待って、何の反応も無いようなときには、関係者の皆に勇気を持って断るしかないと心に決めていました。そんな半分あきらめかけていたある日の午後。電話がなり、いつもの通りの、ドイツ語で「日本国名誉総領事館です。ぺらぺら」と応対しました。ところが、相手は、一瞬戸惑っているのか、何も聞こえて来ません。変な電話だなーと思っていると、
「あのー、ゼーワルト恵子さん、いらっしゃいますか、岩野と申します」
「どちらから、お電話下さいましたか」と聞き返すと
「島根です」この時、私は改めて、新分野のインターネットの凄さを思い知らされたのでした。ドイツからメールを投げて、落ちたところが、島根、の田舎と後で知るのですが……。
 岩野さんの人柄は、電話口ですぐに分かりました。事情を説明したすぐ後に、「そんなだらしの無い太鼓グループがいることは、同じ太鼓打ちの恥です。太鼓打ちは、そんなもんじゃーありません。僕のグループのメンバーとは相談しないと分からないけれど、僕一人でも行って叩きます」と言ってくださった事は、電話口で飛び跳ねたほど嬉しいことでした。こんなことを言ってくれる日本人が、この時代にまだいたのだ、日本もまだ、捨てたものではないと心から思ったことを憶えています。


『皆、どうする?』

 さて、次の日から私、岩野の挑戦が始まりました。解決しなければならない問題は、大きく分けると、二つありました。
一つは太鼓のメンバーを説得すること。もう一つは、恵子さんに招待してもらえるように交渉することです。実際、来てくださいと言われたものの、肝心の内容、太鼓がうまいかどうかを見てもらわないと話にならないと思いました。
 最初のメールを送ったときには、すでに、私の気持ちはドイツへ行く方向に決っていました。ただ、悲しいかな、一人で二時間近いステージをこなすのは無理です。太鼓公演には仲間が必要です。まずは先輩方へ報告と説得、これは即決してもらいました。やはり、長く太鼓を叩いている方々は乗りが違います。これでもう、行けたも同然。恵子さんに認められればの話ですが……。
 次の練習日に他のメンバーに聞いてみることにしました。その日まで三日ありました。私は待ち切れず、町で会うメンバーには事あるごとに話をし、誘い始めていました。若い者は、お金の問題も当然のことながら、長い休みをとる事にかなり労力を使わなくてはなりません。皆の参加の可否を聞くのにやはり時間はかかりました。


《ひまわりのドイツもこいつもばなし その2》

 江川太鼓・和っ鼓の皆さんに来てもらうに当たって、心配だったことが二つありました。
 一つはメンバーの自己負担になるお金の事。二つ目は皆が休暇を取れるかということ。
 日本で一週間から十日に及ぶ休みを取ったりすれば、帰ったときに会社に机が無くなっているかも知れないという恐れがあります。
 日本で働く人々にとっては、休暇を取るということは実に大変な事であり、まだまだ、休暇にたどり着くまでの苦労や心労が大きいのです。
 休暇を取ることは、日本では、まだ、労働者の権利になっていない様な気がします。法律上はよく知りませんが「休暇を取る」のではなくてまだ、「休暇をとらせていただく」というレベルだと思うのです。
 ドイツでは、労働者にとって、休暇は「権利」でもあり、取らなければいけない「義務」でもあるのです。有給日数は、業界によって若干の違いはありますが、年間二十五日から三十日が普通です。
 私の知っている会社でも、二週間まとめて取らないとボーナスが減る≠ニいう信じられないところもあります。
 また、会社の都合で労働者の有給休暇が減るとすれば、会社側は、罰せられます。もちろん、ドイツの会社にも忙しい時期というのがありますから、その間は休んではいけないというような社内のお達しはありますが、会社に有給休暇をただであげてしまうなんていう労働者は聞いたことがありません。
「休む」という響きにドイツと日本で相当な理解の違いがあります。日本人は、休むことはいけない行為や人間の怠けの象徴だと思っています。ドイツ人は、人間、疲れたら休むことは当たり前と思い、それは、自分のことでなくても相手の場合にでも理解することができるのです。
 また、ドイツの場合、この休暇の他に「保養」という言葉が存在します。休暇のほかに医者の診断と保険会社の了解があれば、三週間から四週間、保養地へ行き、静養することができ、これは、有給休暇とはまた別のものです。もちろん、十年前に比べれば、保養に関しての条件や個人の金銭的負担なども大きく変わりましたが、社会の中で保養地へ行く≠ニいうことは、しっかりと認められている行為になっています。
 例えば、病気で六週間休んだとすると、その後四週間の保養と、回復後有給休暇を六週間取ったとしてもこれは、立派にドイツ社会に通用する理論であり、権利なのです。要するに「病気でやむを得ず取らなければならない休み」と「保養で休んでよしと認められた休み」と「休暇として取れる休み」が独立して成り立っているわけで、この範囲であれば、給料が減るとなどということはありません。
 これだけいいことを書いたら、「ドイツに移住するぞー」と張り切る日本人も出てくるでしょう。しかし、もちろん全てがいいのではなく、社会保障をよくすればするほど、税金やら保険料、その他なにかと色々なお金を国に吸い取られてしまうわけです。
 平均的に見て、手取額は、本給から半分もしくはそれ以上のお金を引かれてしまっています。現状で、ボーナスだって、出してくれる会社で一カ月ぐらい。将来に向けて払い込んでいる今の年金だって、いずれは、国から裏切られるときが来るので、自分の老後を自分で保護することが今から始まっています。それでも、どうでしょう。「休み」と「お金」どっちを取るか、ドイツでは、大抵の人がやっぱり休みを取りますね。
 なぜなら、ドイツ人にとって、旅行へ行くことや趣味や自分の為に時間を費やすことなどは、ほぼ、人生の目標になっているからです。会社にとっても社員に休みをとってもらうことにより、例えば、誰かが休むことによって緊張していた事務所の雰囲気が、リフレッシュされたり、新しく働く意欲をつけて帰ってきた従業員に影響されるなど、全体的には結果プラスに働いているからです。
 もちろん休んでいる人がいる間、他の人の仕事は大変になるとしても、これまた「お互い様」であり、また、会社にとって、ストレスが溜まり過ぎた従業員に突然ずる休みされたり、仮病で長期的に休まれて困る日本の会社よりも、前もって計画的に、従業員の休みを取らせる会社の方が色々な面に与える迷惑一つを考えてみてもいいと思えないでしょうか。
 日本人は兎に角「休み」が「悪いこと」であるという感覚を無くさなければなりません。限りがあるものには、必ず定期的に「充電」が必要なのですから。

 あ、ゴメンナサイ。立ち読み部分はここで終わりなんです。ここまで読んで下さって有りがとうございます。
 このあともっと面白くなりますから買っていただけるとすごく嬉しいです。 




















 あとがき

 ●●●●●あとがきの中身●●●●●
























 著者プロフィール

●●●●●著者プロフィールの中身●●●●●





















本の誕生秘話

 ●●●●●本の誕生秘話の中身●●●●●























関連書籍の紹介

 ●●●●●関連書籍の紹介の中身●●●●●























 読者感想文

 ●●●●●読者感想文の中身●●●●●