マレーシアを知り、いつの日かマレーシアに遊び マレーシアをお隣り感覚

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 近くて遠い国、マレーシアを、写真とエッセイで軽やかに綴る。
街角で「マレーシアはどこにあるでしょう?」と尋ねたら、どれくらいの人が正確に答えられるだろう。日本との経済的な関わりは密接なのに、その隣のタイやシンガポールに比べて遠く感じられる国、マレーシア。私もそこに住むことになる前は特に意識したこともない国だったが、マレーシアで過ごした五年間は一生忘れられない大切な時間になった。これからお見せするのは、そこに住んで、感じて、写真に撮った「私のマレーシア」である。(「はじめに」より)

目次 本文70% 感想BBS


Copyright (C) 2007 明窓出版, All rights reserved













 
         森 智子 著





 マレーシアの風に吹かれて


  b 未来のかたち b




                                   明窓出版



















   推薦の言葉
●●●●●推薦の言葉の中身●●●●●

































  まえがき

●●●●●まえがきの中身●●●●●

























       目 次


 近くて遠い国 ……………… 4
 写真との出会い ……………… 15
 マレーシアのイスラム教 ……………… 28
 プトラジャヤ ……………… 40
 ブルーモスク ……………… 47
 ポートディクソン ……………… 49
 蟹 島 ……………… 53
 FRIM(フリム:森林研究所) ……………… 67
 テロックインタン ……………… 85
 インド人街 ……………… 90
 チャイニーズの文化 ……………… 94
 未来のかたち ……………… 112































  近くて遠い国






 街角で「マレーシアはどこにあるでしょう?」と尋ねたら、どれくらいの人が正確に答えられるだろう。日本との経済的な関わりは密接なのに、その隣のタイやシンガポールに比べて遠く感じられる国、マレーシア。私もそこに住むことになる前は特に意識したこともない国だったが、マレーシアで過ごした五年間は一生忘れられない大切な時間になった。これからお見せするのは、そこに住んで、感じて、写真に撮った「私のマレーシア」である。






 1996年7月の末に、夫の転勤でそれまで八年過ごしたタイのバンコクから、マレーシアのクアラルンプールに移った。始めに住んだモントキアラというところは、ひとフロアに六戸ずつで三十階ぐらいあるタワーのようなマンションが七棟建っているところで、そこ自体が町のようだった。敷地内には小さいながらスーパーマーケットもあり、写真屋、クリーニング屋、ヘアサロン、ビデオ屋、旅行代理店、電気小物と修理の店、西洋料理やローカルフードのレストランまであった。その上、ショップカーと呼ばれるトラックが新鮮な肉、魚、野菜、果物を満載して、敷地のあちこちに曜日をかえて来ていた。何曜日の何時ごろにはどのあたりにいると覚えれば、大体毎日新鮮な物を買うことができた。あとは時々タクシーでクアラルンプールの中心街のデパートや、郊外の巨大なスーパーに買物に行けばいい。ホールにはエアロビクス、ジャズダンス、プールには水中エアロビクスの先生が受け持つクラスがある。子供のためのバレー教室、空手のクラスなどもあり、さらには家庭教師を呼んできて、個人やグループで英語を習ったり、マレー料理を習ったりしていた。敷地内の人の輪にいろいろなつながりが生まれて、パッチワーク、パンフラワー、マクラメなどを教えたり習ったり、できることはたくさんあった。それで満足できる人だったら、車などなくても十分生活できた。
 だが、その小さい町のようなモントキアラから外に出るのは大変だった。一番近い信号機まで歩いて二十分、一番近い大きなスーパーまで歩いて二時間、バスは一時間に一本、電車はない。べつにここが特に不便なのではなく、むしろ駐在員の住むところとしては一般的だった。
 子供の学校の用事、医者、歯医者、サッカー教室……。親も子もマンションの敷地外にある誰かの家に遊びに行く時にも、いちいちタクシーを呼ばなくてはならない。それも出かけたい時に限って、たいてい他の人も出ようとしている頃なので、いくらタクシー会社に電話をしても「ノータクシー」と断られてしまう。一週間もしないでストレスの塊になった。
 八年以上前、日本を離れる寸前に免許をとり、それ以来一度もハンドルを握っていないのでかなり不安だったが、結局運転を始めることにした。クアラルンプールはかなり起伏に富んだ街。道路がぐるーっと回り込むようなところも多いので、方向感覚がおかしくなり、何度か迷子になって道端に車をとめて地図を見た。
 そういえば、クアラルンプールでの夫婦喧嘩の最大の理由は、道路だと聞いたことがある。
「おまえがこの道だと言ったから渋滞につかまっちゃったじゃないか」
などとやるのだろう。日本でも似たようなものなのかもしれないが、クアラルンプールの道路を知ると余計に納得がいく。
 朝や夕方などの通勤時間や、雨がどっと降ったときなどは、まさに大渋滞になる。どの道を行ってもかなり混んでいるのであきらめて待つが、ポリス信号の時はなおさら混む。ポリス信号とはつまりおまわりさんが街角に立って、信号の代わりに合図するのだ。混んでいるほうを優先的に流すのだが、何のデータもなく勘で時間を区切る。だいたい3分ぐらいは替わらない。ずっと先の信号がこのポリス信号で、長く渋滞が続いていると、そこを通るのに20〜30分はかかる。ポリスが立つことで渋滞が緩和しているのか、悪化しているのかわからないが、ともかくこっちはじっと待つしかない。
 車の中から周りを眺めていると、いろいろなおもしろいことが見えてくる。マレー人女性の着ているバジュクロンというワンピースは足首まで長いのにそれほど裾が広くないから、夫らしき人の運転するバイクにまたがると、膝近くまで裾がめくれて脚が見えてしまう。本当はイスラム教では夫以外の男性に脚など見られてはぜったいにいけないのだけど、まあ仕方がないのだろうと思っていた。 
 ところがある日見かけた女性は、バジュクロンの下に長いズボンをはいて、さらに靴下まで履いていた。マレー人女性は、足首までのスカートの上に長袖の膝丈のワンピースを着て、トゥドゥンと呼ばれる長いベールをかぶっているので、それだけでも暑いだろう。それなのに、いくら通勤の時間だけだといっても一年中30度ぐらいある国で、その上ズボンと靴下という姿はむしろ感動的であった。そこまでしても戒律を守り抜く信仰心の強さを思い知らされた。
 別の日に見かけたバイクには、夫の後ろに妻、夫の前には小さなヘルメットをかぶった5歳ぐらいのかわいい男の子、よくあるように「ああ家族で乗ってる」と思ったら、妻と夫の間から小さな足が出ていた。つまり赤ちゃんがお母さんのほうを向いて抱っこされているのである。何とか顔を見ようにももぐってしまうぐらい小さいようだ。50CCぐらいの小さいバイクに家族4人で乗っているのである。事故にあわずにいてほしいと祈るしかない。








 写真との出会い

 長年住み慣れたタイの隣の国なのに、人種も宗教も言語も違う。子供達も手がかからなくなり、時間的にも精神的にも余裕ができて何かじっくり取り組めるようになった時に、たまたま写真への道が開けた。

 新しく住んだモントキアラというマンションは窓から視界が広々と開けていて、遠くにクアラルンプールの街が眺められた。観光スポットであるKLタワーと当時まだ建築中のツウィンタワーが並んで見えて、その向こうから朝日が昇った。
 マレーシアに住む日本人を対象に発行されている新聞で、写真のコンテストをやっていたので、ふと撮った写真を応募して佳作に入った。星が好きで、望遠鏡で夜空を眺め、天文雑誌の天体写真に見入っていた子供の頃から、いつかきちんと取り組んでみたかった写真をすぐにも始めたくなった。生まれつきすぐにその気になって行動するタイプで、その日のうちにクアラルンプールに住む日本人の拠点である日本人会に行って、
「写真を習えるところはないですか」
とたずねた。
 そして、長年日本人会で写真同好会を指導している菅原伸一先生に出会った。先生は三十年ほどマレーシアを拠点にして活躍しているプロの写真家だった。
 写真のことなどまったく知らず、シャッターを押すだけのカメラしか使ったことがないゼロからのスタートながら写真同好会に入れてもらい、先生の熱心な指導を仰ぎ、少しずつ覚えていった。 
 カメラのファインダー越しに見る世界は驚くほど美しい。小学生の頃には望遠鏡で毎日のように飽きずに月や惑星を見ていたが、大人になって忘れていたあの頃のわくわくする気持ちがカメラのファインダーを覗き込むと甦って来る。
 何もかもよくわからないままに、ともかくカメラを持って町に出かけた。
 クアラルンプールで一番美しい道路はジャラン・パーリメンと呼ばれる道路であろう。このマレー語の表記は英語の音に基づいている。このことから簡単に推測できるようにこの道路は国会のビルのそばを通っている。両側に花壇と広い芝生が広がるこの道路は、車で走っていても気持ちがいい。
 この道路はレイクガーデンと呼ばれる広大な公園地帯を横切っている。クアラルンプールの西よりにある巨大な丘陵地帯を丸ごと整備し、公園や文化的施設の拠点にしてある。中には、レイクガーデンと呼ばれる広々した公園のほかに、蘭園・ハイビスカス園、鹿園、バードパーク、蝶園などがあり、文化施設としては、イスラムミュージアム、プラネタリウム、レイククラブと呼ばれる会合などのできる施設もある。
 そのひとつ、蘭園・ハイビスカス園には特に写真を習い始めたころに何度も通った。写真を覚えたての初心者のモデルには、花が一番ふさわしい。何分でも文句をいわずに待っていてくれる。
 晴れた日には、ほとんど赤道直下の太陽は容赦なく照りつけて、肌がじりじりと音を立てそうなほど暑いが、そんな光の中で熱帯の花々はむしろ生き生きと咲き誇っている。原色そのもののようなあでやかな蘭もいいが、ハイビスカスにも心惹かれた。
 ハイビスカスはマレーシアの国花でもある。その五つの花弁は五つの人として守るべき信条を示す。それは、神への信仰心(これはもちろんイスラム教のアラーの神を意味する)、国王と国への忠誠心(マレーシアにはサルタンと呼ばれる王がそれぞれの州にいて、交代で国王になる)、憲法を守ること、法を守ること、道徳心の五つである。ハイビスカスには赤いものばかりではなく、私の見たこともないいろいろな種類があり、眺めているだけで心弾んだ。
 結局何ヶ月も花ばかり写した。それが私の写真の基本なのか、久しぶりだったりスランプになったりすると、やっぱり花に戻っていく。





 マレーシアのイスラム教

 マレーシアはイスラム教の国である。アメリカのテロ事件などのせいでイスラム教がかなり誤解されているが、キリスト教国のアイルランドにもテロ組織があるように、たまたまテロリストがイスラム教徒であっただけで、イスラム教が危険な宗教であるわけではない。少なくとも私の接したマレーシアのイスラム教は、自己には厳しいが周囲には驚くほど寛容だった。
 イスラム教徒は毎日五回、五体倒地と呼ばれる、地べたに体を投げ出すお祈りをし、毎週金曜日にはモスクに行って、みなで揃って礼拝をし、豚肉も酒も口にしてはいけない。
 一年に一ヶ月、ラマダンと呼ばれる断食の月がある。その間は、男も女も日の出から日没まで一切何も口にしてはいけない。ただでさえ暑い、ほとんど赤道直下の国で、日の出から日没までは有に十二時間以上あるのに、食べ物どころか水も飲んではならない。それどころか厳格なイスラム教徒は、自分のつばさえ飲まないといわれる。
 初めてこのことを聞いた日本人は、まず驚き、呆れ、そして疑う。
 ――そんなことを言いながら実は陰で飲んだり食べたりしているのではないか、普通の人間がそんなことに耐えられるわけがない――。
 確かに病弱なもの、老人、妊婦、幼い子供は免除されるようだが、それ以外のイスラム教徒は本当に食べないし飲まない。それゆえ、接客業などでは質が落ちたり、店員がいらいらしていたり、働く意欲を無くした風にだらっとしていることもある。残酷なのはレストランなどのコックや店員である。一日中おいしそうな食べ物に手を触れながら耐えつづけなければならない。
 ラマダンの夕暮れ近い街では、よく外にまでイスを並べたレストランのテーブルに何人もの人々が座って、時計を気にしながらおしゃべりしているのを見かける。だが、テーブルの上には何ものっていない。彼らはひたすら日没を待っているのである。日が沈んで、あちこちのモスクから合図のコーランが響いたら、ブカプアサと呼ばれるパーティーだ。まずからからに乾ききったのどを水で潤し、すききった胃袋にデーツ(ナツメヤシの実)を少しずつ入れる。それから何時間もかけてゆっくり食事を楽しむ。日中の平均気温が一年中三十度近いこの国で、飲まず食わずの荒行は身体に良いわけがない。だが宗教がしっかり根付いているこの社会では、誰もそんなことは言い出さない。
 だが、イスラム教徒を外から眺めて、異様に思っていた感覚が変わっていったのは、何年か滞在してからだった。お祈りを終えた人々のすがすがしい顔、ラマダンの一日の断食が終わった後、にぎやかに繰り広げられるブカプアサのパーティー。ラマダンをやり通したときの充実感。そんな光景を見たりマレー人の友人といろいろ話したりするうちに「私にはわからない世界がある」と思った。


 あ、ゴメンナサイ。立ち読み部分はここで終わりなんです。ここまで読んで下さって有りがとうございます。
 このあともっと面白くなりますから買っていただけるとすごく嬉しいです。 























 あとがき

 ●●●●●あとがきの中身●●●●●
























 著者プロフィール




  森 智子
    東京都出身
    慶應大学文学部卒業

1988年7月
  夫の赴任について、六歳の息子と二歳の娘を連れタイのバンコクへ行き八年滞在。
1996年7月 
  夫の転勤に伴いマレーシアのクアラルンプールへ行き五年滞在。
  マレーシアを拠点に世界的に活躍する写真家菅原伸一氏に出会い写真を学ぶ。
2001年6月
  夫はアメリカ合衆国のコネチカットに赴任。
  子供二人と帰国し藤沢に在住。
      
  現在は日本とアメリカとを行き来している。






















本の誕生秘話

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