ODAの正体 ODAの真贋 ODAの実体 ODAを斬る ODAの寄生虫

ホームへ
新刊コーナー
話題の本たち
本のソムリエ
発刊予告
世界一の本
お客様の声
原稿募集
レビュー募集
サイトマップ

【本の検索は】  
ジャンルで探す 
タイトルで探す   
著者名で探す
電子本リスト


海外でのご注文
電子本
お問合わせは

【明窓ブログ】
社長の雑記帳
賢人の庵
日々の心の模索

 

 



 


 コトパンジャン・ダム。インドネシアの地において、日本の「政府開発援助」の一環として、日本の企業の主導により建設されたダム。治水を目的として建設されたそれは、しかし見かけ通りの「善」なる事業の産物ではない。あくまでもそれは企業と政府の利益のために作られたものである。確かにダムの建設は、毎年住民を襲う水害を防ぐが、だがダムに沈む地域に住んでいる人々はどうするのか? 移住するにしても、その分の援助は十分になされているのか? 水害は同時に肥沃な土をもたらしてきたが、それを失えば農業はどうなるのか? 
そしてダム建設により生まれた利益はどこへ流れていくのか? 住民の訴えもむなしく、政府と企業の都合のもとダムは建設された。一体誰のためのダムなのか? 一体何のためのダムなのか? 著者は、援助の名のもとに人々が苦しんでいる現状を、豊富な資料を駆使して告発する。一体援助という名、善という大義のもとに何が行なわれているのか。一つのダムの話に始まった本書の視野は、そこから世界全体に関わる問題へ拡がっていく。
 世間で国際支援が叫ばれる中、その美名に隠された「裏」を考えるきっかけを与えてくれる一冊である。
レビュー作者 真悠信彦

前書き 目次 あとがき

本文70% 感想BBS 著者profile
Copyright (C) 2007 明窓出版, All rights reserved













 
         鷲見一夫 著





 住民泣かせの援助





                                   明窓出版



















   推薦の言葉
●●●●●推薦の言葉の中身●●●●●

































はじめに


 コトパンジャン(Koto Panjang)ダム(1)は、インドネシア・スマトラ(Sumatera)島の中部地域を流れるカンパル・カナン(Kampar Kanan)川の上流域において、日本の「政府開発援助」(ODA, Official Development Assistance)によって建設されたコンクリート重力式の中規模ダム(高さ五八メートル、堤長二五七・五メートル)である。ダム・サイトは、リアウ(Riau)州に位置しており、バンキナン(Bangkinang)からは二〇キロメートル、プカンバル(Pekanbaru)からは八五キロメートルの地点に位置している。ダム貯水池は、西スマトラ(Sumatera Barat)州にまで広がっている。
 このように、コトパンジャン・ダムは、規模的には大きなものではないのであるが、貯水池は、広大なものとなっている。これは、カンパル・カナン川が、マハット(Mahat)川に合流する地点から一〇キロメートル下流の場所にダム・サイトが選ばれたためである。この地点は、カンパル・カナン川が平野部に出る直前の山合いの狭窄部である。そのため、ダムの規模に比してバックウォーター(逆流水)の度合いが大きく、当初計画では、貯水池面積は、一二四平方キロメートルに広がるものと想定された。    後略

























      目  次


はじめに

プロローグ──スハルト独裁・腐敗政権に対する「援助」

第1章 誰のためのダム建設なのか?
      1 でっち上げられたダム建設構想
      2 こじつけのダム建設目的
      3 過少評価された自然・社会環境への影響
      4 「開発の免罪符」としての環境アセスメント
      5 なぜプロジェクトが急に動き出したのか?

第2章 スハルト利権ダム
      1 「援助」の異常性
      2 「融資」の異常性
      3 「援助」資金の「流用」
      4 「援助」を食い物にしたハイドロ・マフィア
第3章 住民の立ち退き問題
      1 移転者数の問題
      2 移住地問題
      3 破壊された住民の生活基盤

第4章 移転・補償同意問題
      1 三条件問題
      2 三条件の充足問題
      3 補償基準の問題

第5章 強権政治の下での住民抗議
      1 抗議に立ち上がった住民
      2 住民代表の日本訪問
      3 虚言を繰り返した「援助」関係者

第6章 失われたダム建設目的
      1 「集団移住計画」の破綻
      2 不発に終わった大口需要の開拓
      3 「無用の長物」の借金の返済負担
第7章 欺瞞的「援助」の後遺症
      1 有名無実の「環境ガイドライン」
      2 生活難に喘ぐ立ち退き住民
      3 住民移住地の惨状
      4 裁判闘争に踏み切った住民

第8章 高まるスハルト「腐敗」ダム撤去の声
      1 「無用の長物」と化した欠陥ダム
      2 繰り返されるインチキ「調査」
      3 不可解な「行動計画」作り
      4 茶番劇のJBIC事後評価ミッション
      5 「行動計画」に対する住民の反発

第9章 日本での提訴
      1 闘争協議会の結成
      2 ODA訴訟第一号案件



第10章 法廷での主要論点
      1 ダム建設計画
      2 電力生産
      3 融資問題
      4 住民移転問題
      5 三条件問題
      6 「集団移住計画」問題
      7 ミナンカバウ社会の破壊問題
      8 野生動物保護問題
      9 「行動計画」の問題
      10 住民の生活再建問題
      11 日本官僚による人権蹂躙問題
      12 国家賠償法(国賠法)の適用の問題

エピローグ──スハルト「腐敗」援助によるジェノサイド、エスサイド、エコサイド

おわりに

[資料] コトパンジャン・ダム関係年表


























プロローグ──スハルト独裁・腐敗政権に対する「援助」






 ノー・モアODA


 スハルト独裁政権下において、日本の「援助」は、スハルト・ファミリーおよびそれと癒着した華僑系財閥を太らせ、またそれらと結託した日本企業の利益増進を図ることに終始してきた。これに対するインドネシア国民の怒りが顕在化したのは、一九七四年一月に田中角栄首相(当時)がインドネシアを訪問した折りであった。その際には、ジャカルタにおいて大規模な反日暴動が発生し、学生、労働者、住民と軍が衝突した。この事件においては、一一人が死亡し、一〇〇人余りの負傷者が出た。また、八二〇人の学生・知識人が逮捕された。さらに、総計一〇の日刊紙、週刊誌が発売禁止となった。この事件は、インドネシア国民の間では、マラリ(Malari)事件、つまり「一月一五日の災禍」(Malapetaka Limabelas Januari)として知られている。
 マラリ事件は、スハルトの強権力の行使で押さえ付けられてしまった。それ以降、スハルトは、反日運動が表面化するのを徹底的な弾圧で封じ込めてきた。しかし、その間にあっても、日本の「援助」に反対する声は、途絶えることがなかった。こうした状況の下で、日本の「援助」への批判が再び顕在化するきっかけとなったのは、中部ジャワのスラン(Serang)川でのクドゥン・オンボ(Kedung Ombo)ダム建設への日本輸出入銀行(輸銀)の融資であった。この輸銀融資は、世界銀行(世銀)との協調融資の形で行われた。このダム貯水池では、一九八九年一月一六日に貯水が開始されたのであるが、その時点においては現地では未だに一五〇〇世帯、約七〇〇〇人の住民が残留していた。このようなスハルト政権の非人道的な貯水に対しては、インドネシア内外において非難の声が高まった。また、このような暴挙を宥恕した世銀と輸銀に対する国際的な批判の声も高まった。(1)
 クドゥン・オンボ・ダム貯水池に水が張り出されてから一年後の一九九〇年五月四〜六日に、海部俊樹首相(当時)が、インドネシアを訪問した。その際には、インドネシアの非政府団体(NGO)、特に人権保護団体と環境保護団体の間から、「ノー・モア援助」の声が上げられた。
 海部首相の訪問に先立って、四月二三日には、インドネシアにおける二つの人権NGO──「インドネシア人権擁護協会」(プリンセン会長)と「インドネシア人権擁護戦線」(INFIGHT)──は、同首相宛に書簡を送り、直接対話を行いたい旨を申し入れた。後者の書簡のうちでは、「日本の海外援助政策がインドネシアに対して及ぼしている影響について、INFIGHTの見解を申し述べたい」と記されていた。(2)しかしながら、在ジャカルタ日本大使館は、これらの要求を拒否してしまった。
 そのため、人権擁護協会は、五月一日に、海部首相宛の要望書を日本大使館に届けた。この要望書においては、「人権を尊重しないような抑圧的な政府に対しては、経済的支援の供与を中止するよう」求めていた。(3)
 一方、INFIGHTは、五月三日に記者会見を行い、対話拒否を遺憾とする次のような内容の声明を発表した。つまり、「日本の援助政策は、これまでにインドネシアの人民と環境に対して破壊的影響をもたらしてきたのであるが、今回の対話拒否により明らかとなったのは、日本政府は、このような従来の援助政策に大幅な変更を加える意向を有していないということである」という内容であった。(4)
 そして、五月五日には、INFIGHTは、「インドネシア森林保全ネットワーク」(SKEPHI, Jaringan Kerja Pelestarian Hutan Indonesia)とともに、ジャカルタ中心街タムリン通りの「そごうデパート」前で抗議集会を行った。参加者は、約二〇名ほどであった。彼等の掲げたプラカードには、「あなた方の援助がどこに行っているのか、ご存じですか?」(Do you know where your aid goes ?)、「援助という名の債務負担は、もう沢山です!」(No more burden by your aid !)などと書かれていた。
 この抗議デモについては、わが国ではほとんど報道されなかった。恐らくこの程度の小規模デモでは、ニュース性がないとの判断によるものと思われる。しかしながら、マラリ事件以後のスハルト政権下の強圧政治という状況に照らしてみるとき、このデモの持つ意味合いは極めて大きかった。
 何よりもまず、従来ならばこの種のデモは弾圧されるのが必至であったのであるが、今回の場合には、インドネシア当局がこれを許容したということである。スハルトの政権基盤が弱体化しつつあったという政治状況にも一因があったといえるが、それよりもむしろこうした市民団体の主張を支持する世論が底流にあるために、インドネシア当局としても、うかつには手が出せなかったものと見てよいであろう。
 もう一つには、クドゥン・オンボ・ダム問題を契機として、日本の「援助」に対する批判の火の手が再び燃え上がったという点である。日本の「援助」が一部富裕層と日本企業のみを潤し、一般大衆、特に貧困層の利益とはなっておらず、かえってこれらの底辺層の人々の生活基盤を破壊する役割を果たしているとの批判の声は常にくすぶり続けていたのであるが、このデモにおいては、こうした声が、再び表面化したのである。
 このように、クドゥン・オンボ・ダムの住民立ち退き問題におけるスハルト政権の強権的な対応振り、またそれに対する世銀と日本政府の無為無策に対しては、インドネシア国民の間に怒りの声が高まった。さらに、そのような状況の下での海部首相の対話拒否は、日本の「援助」の在り方に対する批判を増幅させたのである。
 このような時期に表面化したのが、コトパンジャン・ダム建設へのOECFの融資問題であった。この融資問題は、日本の「援助」が、いかに現地住民の意向を無視した形で進められてきているのか、またいかに現地の自然的・社会的環境に無頓着なのかを浮き彫りにし、そうした形態の「援助」への批判という点で火に油を注ぐ形となったのである。

 東電設計の「仕込み」案件
 コトパンジャン・ダムの建設構想は、一九七九年に東電設計のプロファイによって浮上した。それ以来、東電設計は、この案件を軌道に乗せるために、インドネシア政府と日本政府に対して働き掛けを行い、その結果「仕込み」に成功した。こうして、インドネシア政府の「要請」を受けたとの形を整えることにより、JICAが、実行可能性調査(F/S)を行うこととなった。F/S報告書の作成をJICAから受注したのは、このダム建設案件を仕込んだ東電設計であった(本書三頁参照)。
 このF/Sの過程において、ダム建設構想は大規模化することとなった。つまり、当初、インドネシア側は、カンパル・カナン川支流のマハット川に小規模のダムを建設することを構想していたのであるが、東電設計は、コトパンジャン地点に、より規模の大きいダムを建設するという代替案を打ち出したのである。
 この東電設計の代替案においては、ダム・サイトとしては、カンパル・カナン川が平野部に出る直前の渓谷が狭まった個所に構想された。この構想では、地形的には、バックウォーターの度合いが大きいことから、中規模ダムで大規模貯水池が得られることとなるのである。これは、裏を返して言えば、水没面積が広大になってくるのであって、それによる社会的・環境的影響も大きくなってくることになる。
 そのため、マハット川にもう一つの調整ダムを建設することにより、社会的・環境的影響の軽減を図ることも検討された。しかし、F/S報告書では、単一ダム方式を採用するという構想が打ち出された。F/S報告書によれば、「ダムサイト付近の地形は峡谷で川幅が狭く、一方約一〇キロメートル上流には広大な準平原台地が開けており、中規模ダムで大規模貯水池が得られる優れた地形である」というのである。(5)
 F/S報告書では、コトパンジャン・ダムの主要な建設目的として、「リアウ州の急増する電力需要を賄う」という理由づけが掲げられた。そして、この目的の実現のためには、一一一メガワット(三七メガワット×三基)の発電施設能力を備えた高さ五八メートル、堤長二六七メートルのコンクリート重力式ダムの建設が、「最適計画」であるとされた。この計画の下では、ダム貯水池の総貯水容量は、一四億五四〇〇万立方メートルになるものと見込まれた。(6)
 このようなJICAの調査結果に基づいて、OECFは、一九八五年二月一五日に、インドネシア政府との間で、エンジニアリング・サービス(E/S)借款契約を結び、一一億五二〇〇万円の円借款の供与を約束した。このうち、実際に貸付が実行されたのは、八億二〇〇〇万円であった。この資金を利用して、詳細な実施計画の作成作業が行われることとなった。この詳細設計(D/D)の作成を受注したのは、東電設計と現地企業ヨドゥヤ・カルヤ社であった(本書三頁参照)。
 この程度の中規模ダムの設計調査のために八億二〇〇〇万円もの巨額資金が必要であるとは到底思われないところであるが、D/D報告書そのものが公表されてきていないために、この円借款の具体的使途については、日本とインドネシア双方のタックスペイヤーが、これを知る術がないのである。しかも、このD/Dの段階で、発電規模は、さらに大きくされることとなった。こうして、コトパンジャン・ダム自体の規模は、最終的には幾分縮小された(高さ五八メートル、堤長二五七・五メートル)のであるが、逆に発電規模は、一一四メガワット(三八メガワット×三基)に増大されることとなったのである。
 コトパンジャン・ダムは、当初計画では、一九八七年に着工し、一九九一年に完成することが予定されていた。しかし、このスケジュールは延期された。そして、プロジェクト実施の棚上げ状態が続いた。インドネシア側にダム建設の緊要性がなかったためである。
 ところが、一九九〇年になって、このプロジェクトが突然に動き出すこととなった。このダム建設へのOECF融資問題が日本で最初に報じられたのは、同年四月一六日付の『日本経済新聞』においてであった。font>



あ、ゴメンナサイ。立ち読み部分はここで終わりなんです。ここまで読んで下さって有りがとうございます。
 このあともっと面白くなりますから買っていただけるとすごく嬉しいです。 

















 おわりに


 コトパンジャン・ダムは、その主要な建設目的である一一四メガワットの発電でさえも達成できない欠陥ダムである(本書四一二〜四一三頁参照)。しかも、このダムは、現地住民の意思を無視して、また自然・社会環境を破壊する形で建設された。
 さらに、このダム建設は、スハルト・ファミリーやそれと結び付いた政府官僚・企業の貪欲の標的にされた。住民補償費、道路建設費、移転地造成・整備費、ゴム園造成費、給水施設費、文化財保全費、植林事業費など、ありとあらゆる工事関係費が、「汚職」のターゲットとされた。
 その最大の被害者は、現地住民である。しかし、ポスト・スハルトの今日においても、インドネシア政府は、住民の難渋には素知らぬ態度を採り続けている。それどころか、インドネシア政府関係者は、住民の難渋をダシにして、「行動計画」の策定・実施を名目に、JBICから新たな「援助」を引き出して、これをも食い物にしようとする動きさえ示している。そのため、現地住民の間では、コトパンジャン・ダム建設への日本の「援助」に対する怒りとともに、JBICの新規「援助」への不信感が渦巻いている。
 現地住民は、これまで、再三再四にわたって、未払いの補償金の支給、さらにゴム園の植え付け、飲料水施設の整備など、過去における各種の約束の履行を、インドネシア中央・地方政府に対して求めてきた。しかし、中央・地方のいずれの政府も、こうした住民要求に応えようとする姿勢を示してこなかった。そして、日本政府の圧力により、ようやくにして着手し始めた「行動計画」も、現地住民のためというよりも、むしろ政府関係者にとっては、「ムンプンイズム」の新たなターゲットとなってしまっているのである。         後略






















 著者プロフィール

鷲見一夫(すみ かずお)

1938年、愛知県に生まれる。1965年、横浜市立大学文理学部国際関係課程卒業。1970年、一橋大学大学院法学研究科博士課程修了。その後、横浜市立大学専任講師、助教授、教授を経て、1992年より新潟大学法学部教授。専門は、国際環境法。
〔主要著書〕『ODA援助の現実』(岩波新書、1989年)、『きらわれる援助−世銀・日本の援助とナルマダ・ダム』(築地書館、1990年)、『ノー・モアODAばらまき援助』(宝島社、1992年)『世界銀行−開発金融と環境・人権問題』(有斐閣、1994年)、『世界貿易機関(WTO)を斯る−誰のための「自由貿易」か』(明窓出版、1996年)、『三峡ダムと日本』(築地書館、1997年)、『山峡ダムと住民移転問題−100万人以上の住民を立ち退かせることができるのか?』(明窓出版、2003年)など。
〔主要翻訳書〕パトリック・マッカリー著『沈黙の川−ダムと人権・環境問題』(築地書館、1998年)など。






















本の誕生秘話

 ●●●●●本の誕生秘話の中身●●●●●























関連書籍の紹介

 ●●●●●関連書籍の紹介の中身●●●●●























読者感想文
みなさんからの素敵な感想文をお待ちしております。  編集部  
書き込みは
こちらからお願いします。