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 自然へ帰ろう! 戦後、“豊かな自然と地域社会”が父となり母となり、先生となって少年たちが育まれていく様を瑞々しい感性で生き生きと描く。
山、河、森、鳥、昆虫たち……。忘れ去られていた自然への道が今開けてくる。 当時の子どもたちが育つ空間は、子どもにも大人にも、さまざまな生きものにも共有され、子どもたちはそれらと交わり、その中からいろいろなことを学んでいました。子どもたちと、地域社会の人々や、自然やそこに生きる生きものとの間――いわば風土との間――に、目には見えませんが、何かをやり取りしている「気持ちや情報」のつながり、すなわち「交流」がありました。
 いま子どもたちの間で、その交流のきずながずたずたになっているように思われます。 たとえば、東京の著名人は知っているけどお隣りのおばさんのことはよく知らない。コアラは知っているけどヒヨドリは名前すら知らない。新宿は知っているけど隣りの町は知らない。芳香剤の香りは知っているけど刈り入れた野草の匂いは知らない……といった具合です。当然ながら、それらとの間に喜びも悲しみの感情も生まれません。

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著者profile

Copyright (C) 2007 明窓出版, All rights reserved













 
         天原一精 著





 天原一精「ハヤト


  b 自然道入門 b




                                   明窓出版



















   推薦の言葉
●●●●●推薦の言葉の中身●●●●●

































   はじめに


 この本は、一人の少年が自然豊かな風土の中で育っていく姿を描いています。楽しくて楽しくて三度の食事も忘れて野山を駆けめぐった遊びは、一昔まえならばだれでも経験したことですが、今の子どもには失われてしまったように思われ、あの遊びほうけた幸せの機会をふたたび子どもたちにとり戻してほしいと願って、あえて一個人のつたない経験を物がたり風にまとめました。

 この本を書きたいと思った動機、執筆中、心ではげましてくれた内なる声援はおよそつぎのようなことでした。

 当時の子どもたちが育つ空間は、子どもにも大人にも、さまざまな生きものにも共有され、子どもたちはそれらと交わり、その中からいろいろなことを学んでいました。子どもたちと、地域社会の人々や、自然やそこに生きる生きものとの間\\いわば風土との間\\に、目には見えませんが、何かをやり取りしている「気持ちや情報」のつながり、すなわち「交流」がありました。
 今、子どもたちの間で、その交流のきずながずたずたになっているように思われます。
 たとえば、東京の著名人は知れどおとなりのおばさんのことは知らない。コアラは知れどヒヨドリは知らない。新宿は知れどとなり町は知らない。芳香剤の香りは知れど刈り入れた野草の匂いは知らない、といった具合です。知らないためにそれらとの間に喜びも悲しみの感情も生まれません。            後略

























       も く じ


  はじめに …………………… 3

  第一章 幼少のころ …………………… 13
       おえんがわには日がいっぱい …………………… 14
       親鳥の翼のもとで …………………… 31
       再建へのあゆみ …………………… 35

  第二章 ハヤトたちの町の風景 …………………… 49
       道草は社会の窓 …………………… 50
       イチョウの木に登れば …………………… 65
       お菓子工場 …………………… 85
       林間学校 …………………… 101
       晩秋、猪ナベに酔う …………………… 114
       帰って来たお正月 …………………… 127
       里山でのタキギ採り …………………… 144
       ご隠居さんの小鳥たち …………………… 158
       花 見 …………………… 165
       お盆のころ …………………… 180

  第三章 水に親しむ …………………… 187
       春の小川 …………………… 188
       水泳ぎ事始め …………………… 202
       金カ淵 …………………… 218
       怒れる川 …………………… 234
       淋しい川 …………………… 241
       さかなつり …………………… 248
  第四章 生きものは友達 …………………… 265
       野外授業 …………………… 266
       子どもたちは小悪魔 …………………… 280
       身近な生きものたち …………………… 292
       スズムシの丘 …………………… 308
       チンチロコーキー …………………… 323
       ハッチョウトンボ …………………… 341

  結 び …………………… 360



























 おえんがわには日がいっぱい

 すっかり稲刈りもすんで甘酒もおいしい晩秋、黄金色のイチョウがはらはらと降り積もるころハヤトは誕生した。
 父親の日記によれば、「鼻太く高し、しわ多し。七百八十匁(二九二五グラム)」
 命名。ハヤト、日向ハヤト。日に向かい、男らしくハヤブサのように! 色、薄黒く頭の毛はまだ薄く、筋肉質の体であった。
 ところは南九州の一角、霧島山の北ふもと……。時は昭和十五年(一九四〇年)……。地球上には不穏な空気が流れ、洋の東西ともども軍隊の足音だけがけたたましく聞こえる時代。
 あわただしい世相を反映して、一家の生活はとてもいそがしく、そのころの数年間の生活の移り変わりはおどろくほどであった。支那は天津での生活、日中関係が悪くなり、福岡へ、都城へ、小林へ。そのかたわら、妹たちを嫁に出し、夫の弟をやがて南方の戦地に送り出さなければならない。しかも、紀元二千六百年という建国の節目を盛大に祝った年であったが、ことさら風雲急を告げるおもむきがあった。
 その朝、散りぎわのイチョウが陽光に照らされ、金色に輝く葉っぱをさらさらと風に打たせていた。オンボロ長屋にはさんさんと日がふりそそぎ、まぶしい光が窓からいっぱい射しこんでいた。秋の終わりの青空はことさら深く澄みわたり、森の木かげから光がこぼれ、ヒヨドリの声が聞こえていたという。

 ピンク色のふわふわした厚い布団。六畳一間のガランとした部屋。トントントントン、四才と二才の姉、兄が廊下を走り回る。
 ハヤトの部屋とふすま一つへだてたとなりが両親の部屋で居間もかねている。その部屋の棚には、両親とっておきの蓄音機やレコードが置かれ、夜になるとハヤトたちの耳にかすれた音の音楽が届いた。針は竹でできた三角のもので削りながら聞く。レコードを回す力は手回し式なので、十分回しておかないと途中でズーッ、という低い音がして止まってしまう代物だった。
 ハヤトたちの心に積もっていく音楽は西洋のものであった。夢とうつつの中で聞いていた記憶の一つはチャイコフスキーのアンダンテカンタービレ。ベートーベンの七番の二楽章も眠りへのいざないとしてはとてもよく、おやすみ、おやすみ、おやすみ……、といっているようであった。
 蓄音機には父親がお気にいりの赤紫のビロードがかけられ、時々深紅のバラ一輪が添えられたりした。

 とても古い木造の平屋、オンボロ長屋を取り巻いて花畑が広がり、周囲には木々の垣根、その向こうに大木がある広っぱ、その先はふっくらと小山をなす深緑の鎮守の森が立ちはだかる。
 小さなハヤト…。同心円的に緑は広がり、かつ高くなっている、その底にあたるオンボロ長屋の片隅に彼はいる。濡れ縁に一人出てひなたぼっこをはじめたところであった。
 居間の南側にある濡れ縁には早春の日の光がさんさんと降りそそいでいた。
 春とは名ばかりの寒い朝、ちゃんちゃんこで丸くふくらんだハヤトは冷たい風にあたりながら外の景色を楽しんでいる。
 一歳ちょっと、やっとハイハイを卒業して歩くのも得意なころだ。濡れ縁に腰をおろして、地面にははるかに届かないちいちゃな足をブラブラさせると、柔らかい足裏から冷たさがはい上がる。足元あたりには深い青みどりの水仙が群生し、そこかしこに白い花が咲き匂う。見上げれば、あどけない顔に刺し貫くような日の光があった。
(キラキラ光って、きれい!)
 ニコッとこぼれたほほ笑みに伸び始めたちいちゃな歯がのぞいている。
 濡れ縁の先に広がるお花畑をツバキやヒイラギが取り囲んでいる。お庭の先の広っぱに二本の大楠が茂りを競う。それらの間隔は優に十数メートルはあろうというのに高いところで枝は腕を伸ばしあいスクラムを組んでいる。時折の風は、ザザーッ、と楠の木を揺らし、しばらくするとハヤトの庭を通りすぎていくのだった。
 そのてっぺんのあたりに太陽がさしかかっていた。逆光のためにその葉の茂りは黒色でしかないのだが、その中でいくつもの葉っぱがさざ波のように輝いている。キラキラとした無数の光の片ぺんは、繁みのざわめきとたわむれながら濡れ縁にまで駆け抜けている。光源のあたりは、ただただまぶしく光り輝いて、空の青さはないのだが、それを離れてずうっと真上を見上げるとまっ青な空。
 サワサワと何かが流れているかのようだ。
「ハヤト!」
 どこかで呼ぶ声がしたようだ。
「ん?」
(どこかしら) そう、ハヤトは虚空を見まわした。
(ここにいるから!) 空の向こうになにか優しく輝いたようだ。ハッとして見ればあい変わらずの青い空。声はそれきりしなかった。
 目を濡れ縁に転ずると、水玉のような木漏れ日が朽ちそうな板を転げ、てっぺんの葉のざわめきに合わせて踊っている。落ちた光は板に吸収され一部は反射するといった具合で、光の縁は板の上で虹色にぼやけながら輝いている。太陽を発した光はその旅をそこで終えていた。

 さかのぼれるところまでさかのぼったところにある記憶、それがキラキラと輝く早春の情景であり、ハヤトが自分の意志で外の世界と出会った最初の記憶として残っているものである。

 おばのひざに腰掛けてチョウを追う思いでは、ハヤト一、二歳ころの春爛漫の日のこと。キラキラと陽はハヤトのおでこを射す。目の高さにちっちゃなピンクの花一面、そのじゅうたんの上を白いチョウが乱舞する。舞い上がり舞いおりる何十もの白いヒラヒラ。まるで噴水!
 ハヤトの小さな手が花のうえをひと払いする。そのたびに舞い乱れるチョウ。やがて静かに舞い降り、花から花へと移っていく。そうしていくつものチョウが目の前を飛び交っているなかで、ハヤトの小さな手はいたずらに空をかく。
 おばはハヤトにチョウをつまんで渡す。ハヤトがたどたどしく指でつまんだ瞬間、チョウは指を抜けて舞い上がる。目がおう。声も出ない一瞬のできごと。白い鱗粉のにおいが指先にのこる。

 ムシトリソウ。何百本という、長さ数十センチの若草色のまっすぐな茎の上にピンクの花が咲いて一面じゅうたんのようだ。
 ハヤトとムシトリソウの背丈はどっちが高かったのだろう。彼がチョウの仲間で最初に親しくなったのは、その花に舞いみだれるモンシロチョウであった。指ではさんで白い鱗粉の匂いをかぐのも、目や、蜜をすう管や触角をしげしげと見るのも、モンシロチョウをして初めてのこと。鱗粉が香りを出す。鋭くて鼻にツンとくる、ちょっと甘くちょっとすっぱい匂い。あの小さな目には中に黒い点々があって、レンズの作用のせいか奥深く見えるから不思議であった。
 日の光が花の上で乱反射し、白く輝くチョウの乱舞は噴水のように花の上で続いている。日差しをいっぱいおでこに浴び、花と緑に囲まれてとっても暖かく満ちたりた思いであった。

 ハヤトの庭は平和で春そのものだった。
 五月の青空のもと、青葉若葉がそよぐころにはあちこちの甍の上にこいのぼりがまった。仰ぎみる、紫匂う春の峰、高千穂はいつものとおりやわらかく町を見下ろしていた。しかし、地上は暗雲に満ちて、ほどなく一六年暮れ、日米開戦! はく息すでに白く、白萩はすでにちり、霜が降りるころであった。

 ふるさとの生きものはいっこうに人間世界の風雲急なるを知らず、ニワトリも、置き石からはい出た青紫のトカゲたちも、祝福されながら育まれている幸せものであった。
 しらじらとした夜明け。やみの中にうすあかりがさし、窓や天井が形を示し始めるころ、どこの早起きか一番ドリが鳴くと、それに誘われて四方八方で鳴き始める。すきまだらけの屋敷に鳴き声はようしゃなく入り、深い眠りの世界にいる子どもたちを地上にいざなう使者となった。
 明るくなりまぶたへの光の使者も加わると、鳥の競い鳴きにはっきり気づく。うなだれながら眠っていた庭木も色づきはじめ、屋根裏のスズメは起き、手の届く所で鳴き始める。竹やぶのコジュケイがチッケタ節をご披露すると、ヒヨドリもピーピーと鳴き始める。
 淡いあかね色の薄日が窓から射し込み、太陽が地上に姿を現す。こうして朝はやって来るのだった。
 大人たちが仕事に着くまでのあわただしい時間が過ぎると、ハヤトの庭には再び静かな一時が訪れ、日の光は柔らかく注ぎ、小さな生きものたちの天下となった。
 飛び石の下からトカゲが顔を出す。暖かい日差しに横たえた青紫の体がキラキラと光り、まるで全身が太陽の恵みをむさぼっているようだ。
 ヒヨドリが大きな図体をして梅や桜の花蜜を吸いに庭木をおとずれた。スズメが屋根のてっぺんを小刻みに走り、おりては餌をさがした。モンシロチョウはムシトリ草の上を乱舞した。
 日が真上に来るころから大気は朝の清澄さにほこりっぽさをまじえる。スミレの花は午後のうすら寒い風に花びらをふるわせる。空は黄ばみを増しながら霧島連山の西の端に向かう。
 日は赤みを増して燃えながら山の端に落ちるころ、三つ、四つと鳥たちが高く空を飛びゆき、家族は再び一堂によりそう。
 大きな大きな太陽を、父や兄、姉一緒になってじっと見つめるのがハヤトには嬉しかった。それはもはやまぶしいものではなく、ギラギラした輝きが失われはじめ、赤い玉になって山の端にお尻から少しずつ沈んでいった。雲は金色に、あるいは黄や灰色になびくこともあった。日が沈み、空が赤紫に変わると、早くも西空には星ひとつ、斜め下を向いた三日月といっしょにまたたき始める。
 母親たちは炊事をしていた。祖母はたすきがけをして井戸の水を汲み上げた。長い柄を押し下げると、ガシャガシャとやかましい音とともに、水は汲んでも汲んでもあふれ出てふろやカメに蓄えられた。
 まるでバンガローのような台所からは紫色の煙が立ちのぼり、晩ごはんの匂いが漂ってくると、遊び疲れた子どもたちに、待ちに待った「ごはんヨー」の声が聞こえてくる。くりくりのひざを並べて、こんばんは! いただきまアす、と声をそろえてあいさつをした。
 空は藍色に深まり宵を迎え、もはや子どもたちは家の中ではしゃぐしかなかった。



 あ、ゴメンナサイ。立ち読み部分はここで終わりなんです。ここまで読んで下さって有りがとうございます。
 このあともっと面白くなりますから買っていただけるとすごく嬉しいです。 

















    結 び


 多くの生きものに「刷り込み現象」というのが認められている。特に鳥においては、卵から孵ったヒヨコが最初見た動くものが脳に刻印されて、それを親のごとく慕って、以後ずっとついていくといった現象である。アメリカのある実験では、生まれて最初にグライダーを見せられたカモのヒナたちが、それが飛び立つときいっしょになって渡り鳥のようについていった。
 人の子どもたちもそれに似た現象があるのではなかろうか。
 生まれてすぐにテレビを中心にした育ち方をすればテレビへの執着の強い生き方をし、マンガであれば、マンガへの執着を、といったことである。
 胎内から外部に出て来た直後、真っ先に母親が抱きしめると、(母親の)愛情が深くなり嬰児も安心すると聞いたことがある。       後略






















 著者プロフィール

天原一精(あまがはら いっせい)

昭和15年、宮崎県生。東京在住。






















本の誕生秘話

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