自己啓発の方法自己啓発を目指す自己啓発のいろいろ自己啓発を日常に。

ホームへ
新刊コーナー
話題の本たち
本のソムリエ
発刊予告
世界一の本
お客様の声
原稿募集
レビュー募集
サイトマップ

【本の検索は】
ジャンルで探す
タイトルで探す
著者名で探す
電子本リスト


海外でのご注文
電子本
お問合わせは

【明窓ブログ】
社長の雑記帳
賢人の庵
日々の心の模索

 

 



 


立ち読みなどは下のボタンをクリックして下さい。
この本は、朱子学を学びたい人のための学習参考書です。読者は、この本をよく読むことで、この混迷した時代を、迷うことなく生きていけるようになれます。そう言えるのは、朱子学は個人の自立をめざしているからです。
ところで、あなたは、「朱子学」と聞いて、それを「封建主義道徳」だと思うかもしれません。しかし、それは誤解です。
【このような方に】
経済人としての確固たる理念を求めている若手サラリーマン。
受験戦争から解放されたとたん、何を学べばよいのか分からなくなってしまった大学生。
人々のモラルの低下を心配している人。
経世済民の理想に燃える役人や政治家。
朱子学者になりたい人。

前書き 目次 本文70% あとがき

感想BBS 著者profile













朱子( 編集 朱熹&呂祖謙/訳解 福田晃市 )著





近思録


基礎からよく分かる「朱子学のすてきな入門書「




明窓出版















>




まえがきのまえがき


【凡例】

一.本書は、『近思録』の訳本です。
一.底本としては、もっぱら葉采の注したものを用いました。
一.ただし、条文の配置については、従来のもの(通説)に従いました。
一.また、各巻の表題は、『朱子語類』にある朱子の説明によりました。
一.各巻の冒頭にある「ここで学ぶこと。云々」は、もちろん原文にはないものです。
一.本文中にある「訳者註──うんぬん」は、訳者が今回、新たに付した註釈です。
それ以外の註は、原文にもとからあったものです。





【NOTICE!】
本編を読まれる前に、必ずお読みください。

【本書の効能】

この本は、朱子学を学びたい人のための学習参考書です。読者は、この本をよく読むことで、朱子学者への確実な第一歩をふみだすことができます。
ところで、あなたは、「朱子学」と聞いて、それを「封建主義道徳」だと思うかもしれません。しかし、それは誤解です。
朱子学者になると、この混迷した時代を、迷うことなく生きていけるようになれます。そう言えるのは、朱子学は個人の自律をめざしているからです。

【このような方に】

経済人としての確固たる理念を求めている若手サラリーマン
受験戦争から解放されたとたん、何を学べばよいのか分からなくなってしまった大学生
人々のモラルの低下を心配している人
経世済民の理想に燃える役人や政治家
朱子学者になりたい人

このページの最初に戻る














目次


はじめに…………6
朱熹(朱子)のはしがき…………12
呂祖謙のはしがき…………14
巻頭特別企画朱子学を学ぼう…………16
第一巻道体…………66
第二巻為学大要…………94
第三巻格物窮理…………153
第四巻存養…………199
第五巻改過遷善克己復礼…………236
第六巻斉家之道…………261
第七巻出所進退辞受之義…………277
第八巻治国平天下之道…………303
第九巻制度…………325
第十巻君子処事之方…………349
第十一巻教学之道…………384
第十二巻改過及人心疵病…………398
第十三巻異端之学…………413
第十四巻聖賢気象…………427
主要参考文献…………447


このページの最初に戻る
















四、朱子学における学問

1.何のために学ぶのだろう?
朱子学において、学ぶことは、聖人になるためにあります。聖人とは、理想的な人のことです。どのように理想的なのかというと、誠の人で、みんなによい影響をもたらす人なのです。また、聖人とは、仁・義・礼・智といった徳を体現している人でもあります。このような聖人になることをめざして、朱子学では学ぶのです。
ですから、朱子学は、博文強記(何でもかんでもむやみやたらに暗記して知っていること)や巧文麗辞(文章をうまくし、言葉をかざりたてること)をめざして学ぶことを真の学問とはみなしません。単なる玩物喪志(表面的な華やかさに心を奪われて、自分の志を見失うこと)とみなすだけです。

2.聖人になるための方法は?
朱子学では、「聖人とは、特別な人だけにしかなれない特別な存在ではなく、学ぶことによってだれもがなれる存在だ」としています。その基本的な方法は、復性(性に復すること)です。今風に言えば、本当の自分に戻ることです。この復性は、性にあった生き方(自分にふさわしい生き方)ができるようになることをめざします。
ところで、性即理(性=理)なので、復性とは、理にかなった生き方(客観的にみてよい生き方)ができるようになることをめざすことであるとも言えます。つまり、復性とは、「性にあった生き方=理にかなった生き方」の実現をめざしているのです。
そして、性にあった生き方ができるようになるための方法を居敬と言い、理にかなった生き方ができるようになるための方法を窮理と言います。朱子学における学問(聖人になるための学問)は、この居敬と窮理とを二大中心として構成されています。
では、以下、それらについて個別にみていきたいと思います。

3.居敬=敬にいること│主体的であろう
(1)居敬とは何だろう?
居敬とは、敬にいることです。すなわち、動くときにも敬し、静かにしているときにも敬し、いつでも、どこでも、つねに敬するようにすることです。
敬とは、主一無適(心が散漫にならないようにし、他に心を奪われないようにすること)であり、主事(みずから率先して事にあたること)であり、要するに、自分に主体性を確立すること(例│心をひきしめ、心ここにあらずといった放心状態になったり、考えなしに軽はずみな言動をしたりなどしないようにして、自分をしっかり保つこと)です。なお、敬していると、おのずと心がまっすぐになる(心がゆがんだりしない)とされています。
朱子学は、性善説の立場に立っています。ですから、人間はもともとまちがっていないので、本来の自分をなくさないように気をつけていれば、悪くなることはないと考えるわけです。
そういうわけで、動くときにはみずからの心の声(良心)の命じるままに行動するようにし、静かにしているときにはじっくりと心の根本を養い育てて芯が強くなるようにします。このようにして、つねに心を保持して、主体性をなくさないようにします。それが居敬です。

(2)未発と已発
敬は、くわしく言うと、心の状態に応じて二つに分けられます。それは、次のようになっています。
朱子学では、心は確かに一つなのだけれど、動と静の二つの状態があるとしています。そして、心が静の状態にあることを未発(未だ発いていない)と言い、心が動の状態にあることを已発(已に発いている)と言います。
未発とは、たとえば仕事も何もしていない、たった一人でいるときの静かな状態の心です。このとき、心の本体(性)は、他のなにものにも動揺させられることがないので、その全き姿が保たれています。
已発とは、たとえば仕事か何かしている、万事万物に対応する必要があるときの動いている状態の心です。このとき、心の本体(性)は、一身をふくめて万事万物に刺激されて、何かを感じたりとか、何かを思ったりなどの、さまざまな作用をしています。
そして、居敬は、それら二つの心の状態に応じて、未発における敬と已発における敬の二つに分けられるわけです。
では、次にそれらについてみていきましょう。

(3)未発における敬│心の健康を増進して芯を強くすること
未発における敬の基本的な目的は、「私たちは、心が健康でなければ、心が弱くなってへこたれやすくなるので、芯の強さがもてなくなる。そして、芯が強くなければ、何かあるとすぐに動揺してしまうようになるので、つねに自分をしっかり保つことができなくなり、主体性をなくしやすくなる。そこで、心の健康を増進して芯を強くすることによって、つねに自分をしっかり保てるようにし、主体性をなくさないようにしよう」というものです。
ですから、心が病気な人にとっては、心がそのまま衰弱して死んでしまわないようにするために、心の健康を回復するための努力をすることが、この未発における敬にあたります。また、心が健康な人にとっては、心が病気にならないようにするために、つねひごろから心の健康に気をつけ、心を生き生きさせるための努力をすることが、この未発における敬にあたります。
そして、この未発における敬を実践するための方法として、たとえば主静・存養・静坐などがあります。なお、今では、心理療法(精神医学)が、朱子の時代にくらべ、かなりゆきとどいているので、心が病気な人は、心療内科の先生に相談する方が有効でしょう。
では、次に、主静・存養・静坐について、それぞれ個別にみていくことにします。
主静とは、気をちらすよけいな考えや、心を乱すさまざまな思いを去り、心を静かに保つことです。無欲になれば、心は静かになるとされています。一般的に言って、欲ばりな人というのは、満足するということを知らないので、なかなか心がおちつかないものです。なお、ここでいう無欲とは、あらゆる欲をなくすことではありません。本然の性(本当の自分)に逸脱するような欲をなくすことです。欲をすべてなくせば、意欲までなくなって、無気力になってしまいます。そんな人間は、まさに生ける 屍 です。ちなみに、参考までに述べておくと、心理療法で用いられるリラクセーションをすること(例│あおむけに寝転んで軽く目を閉じ、全身の力をぬいて何も考えないようにし、心身が自然にリラックスしてくるのをのんびりまつこと)も、この主静に役立つでしょう。
存養とは、本心をしっかりとつかまえてなくさないようにし、本性を大切にしてダメにしないようにすることです。簡単には、本心や本性を養い育てることです。たとえば、心理療法で用いられるセルフトレーニングをすること(例│楽な姿勢でイスにすわって目を閉じ、よけいなことは考えずに頭のなかをからっぽにし、そして自然にゆっくりと息を吸いこみ、「ひとーつ」と言いながら自然にゆっくりと息を吐き出す、そういった動作をくりかえすこと)が、この存養に役立つでしょう。存養をしていれば、人間が本来もっている天理をなくさずにすむとされています。(補足│その他に、自立訓練法をすることも役立つかもしれません。)
静坐とは、静かに座って自分なりにじっくり考えることです。私たちは、いつもせわしくしていると、心が疲れてしまいます。心が疲れてしまうと、心が病気になりやすくなってしまいますし、人当たりも悪くなってしまいます。ですから、たまには世間の喧噪から離れて、ひとり静かに考える時間が必要なものです。そんな時間をもつためにするのが、この静坐です。こうして、心をリラックスしたり、自分自身をみつめなおしたりするわけです。
ところで、以上に述べた未発における敬は、涵養の重要な手段でもあります。涵養とは、水がしみこむようにじわじわと徳性(本性や本心)を養成することです。簡単には、心の根本(心の本体)を養うことです。

(4)已発における敬│良心を大切にして強め、悪心を圧迫して弱めること
已発における敬の基本的な目的は、「人間はだれしも道心(良心)と人心(悪心)をもっている。そして、道心が人心にリードしていれば何の問題もないのだけれど、人心が道心にリードするようになると道をあやまってしまう。そこで、つねに道心が人心にリードするようにするために、道心を大切にして強め、人心を圧迫して弱めるようにしよう」というものです。
つまり、朱子学は性善説の立場に立っているので、道心が本当の心(本当の自分の心)であり、人心はニセの心(ウソの自分の心)であるとします。そして、本当の心をなくせば、悪心のために自分がだらしなくなってしまうのですから自分をしっかり保つことはできませんし、自分が本当の自分ではなくなってしまうのですから真に主体的であるとも言えません。そこで、道心の強化をめざすわけです。言い換えれば、克己復礼(人欲を去り天理に戻ること)をめざすわけです。
後略


あ、ゴメンナサイ。立ち読み部分はここで終わりなんです。ここまで読んで下さって有りがとうございます。
このあともっと面白くなりますから買っていただけるとすごく嬉しいです。


このページの最初に戻る












著者プロフィール

●●●●●著者プロフィールの中身●●●●●





















本の誕生秘話

●●●●●本の誕生秘話の中身●●●●●
























読者感想文

みなさんからの素敵な感想文をお待ちしております。編集部
書き込みは
こちらからお願いします



















<