卑弥呼を知り、卑弥呼と出会い、卑弥呼と同一する。卑弥呼が主神。

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「神仏習合」とは、神と仏という相異なる性格を持つものが平和に共存している(同時に信仰されている)ということです。
日本は、自虐的歴史観から脱し「神仏習合」という信仰の歴史を持つことをこれからは誇りにしたいと考えます。
従来の説とはまったく異なるアプローチから、日本で最も信仰されている神、八幡神の総本社である宇佐神宮の中心に祀られている比売大神が卑弥呼であったという新説を披露し、卑弥呼の時代と現代をつなぐ新しい世界観を提唱します。

前書き 目次 本文70% あとがき

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  はじめに


 宇佐神宮の二の御殿に祀られている比売大神が邪馬台国の女王卑弥呼であるというとあなたはどのように思われるでしょうか。実は私もこの結論に驚いている一人です。私は宇佐神宮が所在する隣町で生まれ育ちました。子どもの頃から毎年お参りをしてきましたがそのような話は聞いたことがありません。宇佐神宮といえば八幡神を祀っているとしか頭には入っていませんでした。神殿を見れば、第二の御殿とされているにもかかわらず、比売大神が中心に祀られていることは火を見るよりも明らかです。にもかかわらず、私は五十歳を超えるまでそのこととまともに向き合ったことはありませんでした。ある日、ふと、何故中心に祀られているのだろうかという疑問が頭に浮かび、考えていくうちに、比売大神は卑弥呼ではないか、それ以外には考えられないとの結論に達しましたので、皆さんにお伝えしたいと思ったわけです。

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       ☆──── 目   次 ────☆


 はじめに………………………………………………………………6

一 地球ルネッサンスと神仏習合……10
      (1)罵詈雑言を浴びた神仏習合……15
      (2)二十世紀は日本の世紀……18
      (3)明治維新と神仏習合……39
      (4)日本の正統としての神仏習合……41
二 神仏習合とは日本の歴史を決定した信仰のあり方
      (1)柔軟な信仰 神仏習合……53
      (2)国家神道はエセ一神教(緊急避難措置としての国家神道)……55
          @ 緊急避難国家の寿命……60
          A 朱子学と明治維新……62
      (3)共生の信仰(環境保全につながる信仰)……68
      (4)和を以って貴しとなす……75
      (5)時代を先取りした信仰のあり方……83
      (6)預言と仏典……88

三 宇佐神宮社殿と比売大神
      (1)社殿配置……91
      (2)脇侍社と比売大神……93
四 邪馬台国の聖地
      (1)三角縁神獣鏡……100
      (2)比売大神……107
      (3)宇佐宮における二大神事(放生会と行幸会)……119
          @ 放生会……121
          A 行幸会……135
      (4)元宮 神体山 大元山(御許山)……144
五 神功皇后は卑弥呼であるか……149

六 神仏習合から見た日本
      (1)習合民族……161
      (2)日本の人口……165
      (3)復活・再生の時代……179
      (4)騎馬民族征服説……182

七 神仏習合の神学
      (1)宗教を考えるに当たって……184
      (2)日本の神……217
      (3)神仏習合の神学……227

おわりに……………………………………………………………………………252


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(2)比売大神
 それでは本題に入ります。最初に私が気になったのは、古代において豊前・豊後の地域、すなわち大分県と福岡県の一部は何故豊国と言われたのだろうかということでした。豊という言葉は美称とされています。このため、豊葦原等、豊と言う漢字がついた言葉は多い。この時代、このあたりが先進地域だったからだとしても、少しおかしいのではないかと感じました。その時、ふと頭に浮かんだのが卑弥呼の宗女台与であります。文字どおり、台与の国、あるいは台与と関係のある国という意味にとったわけであります。

 このことについて安本美典氏は次のように述べています。
「卑弥呼の都は甘木、朝倉地域にあったと思いますけれどもその宗女台与の時代になったとき都が京都郡に移ったと考えられるわけです。ここらへんは豊前・豊後の〔豊の国〕であり、豊の国の台与という名前は、地名が豊かという国だったから台与という名前で呼ばれたのか、あるいは台与という女性がそこに住んだから地名が豊になったのかわかりませんけれども、いずれにしても台与という人名とは無関係ではないと思います。」
 そのように考えるとこれから私が話すことと辻褄が合うのではないかと思います。
 まず、宇佐神宮は二の御殿に祀られている比売大神についてであります。天照大神の子どもで宗像三女神と同じだと言われていますが、その正体は不明だといってよいと思います。これは日本書紀上の一書に、宇佐島に天降った市杵島媛、瑞津媛、田心媛のことが記載されていることを根拠にしているだけで他にはありません。比売大神は三女神であると記載されているわけではありません。名前からする限り、比売大神が複数とは思えません。このことを裏付けると申しますか、推測させるのが醍醐天皇の即位の奉告であります。この一代一度の奉幣に捧げた神宝神財のなかに神衣(神のご装束)がありますが、その数は「御衣二襲」(北山抄)とあります。これは八幡大神(応神天皇)と比売大神それぞれ一襲」ずつと解するべきではないでしょうか。比売大神が三女神であると理解していればこのようなことはしないはずです。また、神功皇后には神衣を捧げていないことも注目されます。
 八幡神は応神天皇の神霊であると言われ、名前だけは一の御殿に祀られていますが、拝殿の配置を見ると比売大神が最も大切に祀られているとしか思えない。神社ですから祀られている神を中心に考えるべきだと思います。それからすると宇佐神宮は表向きは八幡神でも、実際に中心に祀られているのは比売大神であるということになります。貴族とは、何百年も昔の先祖の話を昨日のことのように話すことができる人たち、という定義があります。その代表ともいえる皇室が「先祖である」と認めているわけです。そして、それを裏付けるような待遇がなされている。このことはどんなに大きく考えても考え過ぎとはいえないと思います。現に道鏡事件にあたって神意を伺ったのは、皇室の先祖とされる伊勢神宮ではなく宇佐神宮でした。
 皇室は奈良時代以降(養老元〔七百十七〕年、元正天皇から)江戸時代末期孝明天皇まで約千百年あまりの間に二百十六回、ほぼ五年に一度勅使を宇佐に派遣されました。この間、近くの伊勢神宮には参拝すらしたことがないのに、国家の大事や天皇の即位時には真っ先に宇佐神宮に勅使が必ず派遣されています。これを「宇佐使い」と呼んでいます。現在も十年に一度、勅使参向(勅祭)が行われています。
 宇佐使いについて中野幡能氏は「宇佐宮」(吉川弘文館)のなかで次のように述べています。
「このようななかにおいて、山陰の出雲大社、西海の八幡宮(宇佐宮)と皇室の関係はきわだって国史のなかに大きく取り上げられていた。いわゆる、宇佐宮は大陸朝鮮半島に近い地方にあるにもかかわらず、古代から最も多く、天皇の御使い、つまり勅使の奉幣・奉告などが行われた。そして宇佐宮の勅使を特に〔和気使い〕と言い、なかでも最も重要視されたのが、天皇の即位の奉告であり、これを〔和気使い〕と言っている。
 一方、山田孝雄博士は皇室の宇佐宮に対する崇敬について、
「その最もなるものは即ちここにいふ宇佐使いなり。これは天皇即位及び国家の大事災等ある時に、使いを遣はして、奉幣を奉らしめ給ふの御儀なり。而して即位を告ぐる時の奉幣は一代一度の奉幣と称し、其使いには必ず和気氏五位の人をもって充てられる。これを宇佐和気使いと云ふ」(宇佐和気氏考《国体の本義》所収)」
 宇佐和気使いが出発するときは天皇は沐浴し神宝神馬を見られ、その幣帛を拝し給うということです。
 これに対し出雲大社との関係はどうでしょうか。前掲の書で中野氏は次のように述べています。
「かような宇佐使いに対して対照的な儀礼が、〔出雲国造神賀詩〕の儀であろう。これは出雲国造〔出雲大社宮司〕が新任したとき、朝廷に参内し、天皇の大御代を祝する寿詩の儀礼である。これには厳粛な国造補任式が付随していたのであるが、〔出雲大神〕によると《『延喜式』に神賀詩又は奏上の次第も詳らかに見えたれば、其頃までは行はれしこと明らかなり》〔神道大辞典一巻頁〕と見える。であるとすれば延長五(九百二十七)年のころまでは続いたが、十世紀初頭には消滅したということであろう。これに対して〔宇佐使い〕の方は中絶はしたが、現在まで続いている。」
 この事実は朝廷は出雲大社に対し臣下の礼をとらせたということだと思います。ですから、一旦中絶すると再開されることはなかった。出雲大社にとっては愉快なことではありませんから、再開する気にはなれなかったのでしょう。しかし宇佐宮では、勅使は中絶してもまた再開され、現在まで続いています。これは皇室が、再開しなければならないと決意されたからではないでしょうか。
 その理由は、


 あ、ゴメンナサイ。立ち読み部分はここで終わりなんです。ここまで読んで下さって有りがとうございます。
 このあともっと面白くなりますから買っていただけるとすごく嬉しいです。 


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 おわりに


 私は大分県に努める一地方公務員です。にもかかわらず、「二十世紀は日本の世紀」だの「宇佐神宮に祀られている比売大神が卑弥呼」である、あるいは「神仏習合の神学」などという大それたことを書くことになりました。何でこのような世界に取り組むことになったのだろうかと考えていくうちに、千九百六十年の日米安全保障条約の改定に伴う一連の出来事が浮かんできました。私はこの時、高校一年生、十六歳でした。日本史を教えて下さった先生はこの騒動を深刻に受けとめ、日本は再び、戦前のような社会になるのではと憂え、私たちにもそのように話したものです。

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本の誕生秘話

 「卑弥呼に関心はありますか?」そう問いかけるIという人から電話が入ったのが夜の9時頃だった。明窓出版で出している池田邦吉師が大好きだという。「この人の本を出している出版社だったら絶対大丈夫……ということで、お宅を推薦したけど、ちょっと本人の話を聞いてやってくれませんか」「???」結局著者本人と話し込んでしまい、原稿を送ってもらうことになった。
 原稿を読んでみて、卑弥呼が宇佐神宮のご本尊とは本当に驚いた。原稿にある数々の事柄をこの目で確かめたくて、本の売れ行きのお願いをかねて飛行機に乗った(我ながら動機が不純)。
 有名なマディソン橋と同じ作りの“呉橋”も視た。歴史で習った以外の衝撃的な事実も知った。そしてもっと驚いたのは、若い男女の参拝客がいっぱいだったことだ。一泊した夜の夢で卑弥呼が「よくぞこの本を出してくれました」とでも言ってくれたら当方としても元気いっぱい……ということだろうがそうはならなかった。
 しかし、「宇宙心」の時のようにマリア様からお礼を言われたことを思い浮かべながら、もしかして今度も……とかすかに期待をつないで寝に就いたものではあった。

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